- 出演者
- 宮崎哲弥 中根舞美 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 名倉潤(ネプチューン) 岡田圭右(ますだおかだ) 新川優愛 近藤太香巳 成田悠輔 ゆめぽて
岡田圭右ら出演者によるスタジオトーク。岡田圭右は「(パイルドライバーを学校でかけられた生徒ついて、頭に)水が溜まってもうたの。坊主やからすごい分かりやすい」などと話した。
昭和の頃には箱ブランコがあった。しかし、転倒事故が多発して2000年頃から箱ブランコの撤去が始まり、現在の東京都の公園には1台も残っていない。静岡・浜松市にある公園には箱ブランコがあるが、固定されていて座るためのベンチになっている。
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- 浜松市(静岡)
新川優愛ら出演者によるスタジオトーク。新川優愛は「(モテるために使ったアイテムについて)汗臭くないようにシーブリーズ。香りがいろんな種類出てたので、どれが自分が気になっている男の子が好きなのかみたいな感じでやってました」などと話した。
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- シーブリーズ
昭和の頃には回転型のジャングルジムがあり、高速回転させる遊びが流行した。しかし、子どもの安全に配慮して撤去の流れとなった。
村上サンタのデジタルプレゼントの案内。SUPER EIGHT&ミワちゃまオリジナル特典映像を視聴者にプレゼントする。応募は番組HPから。
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- ありえへん∞世界 ホームページ
名倉潤ら出演者によるスタジオトーク。名倉潤は「(休みすぎたことでやらされた坐禅について)普通は1時間なんやけど、もう許さへんっていって、2時間や。2時間無になるって出来ない」「1回だけ無になった」などと話した。
昭和の頃、10回クイズが流行った。1988年、「鴻上尚史のオールナイトニッポン」がきっかけで流行し、その後、テレビ番組や書籍にも取り上げられた。
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- 鴻上尚史のオールナイトニッポン
昭和の頃、トイレの並び方は各個室の前に列を作って待つ並び方だった。一方、欧米のトイレの並び方は一列に並ぶ並び方で、その影響を受けて日本でも一列で並ぶようになったという説がある。また、トイレのタンクは天井近くに設置するハイタンク式が当たり前だった。紐を引っ張ると天井のタンクから便器に水が流れる仕組みだった。しかし、洗浄音が大きいこともあり、音の小さい後方のトイレタンクに移行していった。昭和の頃、トイレタンクは造花などで華やかに装飾していた。
昭和のトイレの芳香剤は金木犀の香りというイメージが強かった。お店のトイレには日本初の薬用石鹸液のシャボネットがあった。緑色なのは、安全のイメージという理由からだった。発売から70年以上経った現在も販売している。また、汲み取り式の和式トイレ(ぼっとん便所)があった頃、バキュームカーが定期的に各家庭を巡回し、排泄物を回収してくれた。
持ち運びが簡単で安全に用を足せるため、おまるが幼児のトイレトレーニングに使用されていた。アヒルや白鳥のデザインだった。令和では洋式型おまるや補助用便器などバリエーションが増えている。
昭和の集合写真では真顔で写真にうつっていた。昭和の頃、写真を撮影したらフィルムを取り出し、写真店で現像してもらうのが当たり前で1枚1枚が貴重だったので、緊張でふざけられないという思いから真顔になっていた可能性がある。ピースサインは1970年代に流行した。井上順が広告で披露したことがきっかけだったという。
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- 井上順
昭和の新御三家は郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎。花の中三トリオは森昌子・桜田淳子・山口百恵。3Mは観月ありさ・牧瀬里穂・宮沢りえ。観月ありさはフジカラーのCMに出演し人気になり、「ナースのお仕事」も高視聴率を獲得した。牧瀬里穂は「二十歳の約束」などに出演。1989年からJR東海「クリスマスエクスプレス」が放送された。宮沢りえは1991年に写真集「Santa Fe」を発売。三井のリハウスのCMでは「白鳥麗子です」のセリフが流行となった。リハウスって何?篇にも宮沢りえが出演している。
ゆく年くる年は有名寺院で鳴らす除夜の鐘を生放送する番組で、この番組を観ながら年を越すのが昭和の家族のあるあるだった。かつて民法も全てゆく年くる年を放送していた。民法テレビ版は1956年にスタート。目的はNHKの「ゆく年くる年」に対抗するためだった。当時、NHKの紅白歌合戦からNHKのゆく年くる年までが国民的行事で、チャンネルを変える視聴者は少なかった。そこで、全国の民法の知恵と技術を集結した巨大な番組を作ることを考えた。民法の「ゆく年くる年」は33年間放送され、高視聴率を獲得したこともあったが1988年に放送終了となった。
新川優愛ら出演者によるスタジオトーク。新川優愛は「(学生時代の集合写真で、気になっている子が写っていた写真について)自分は写ってないのに、その番号をちょっと書いてもらったりとかみんなしてて」などと話した。
キツネの襟巻きは本物のキツネの毛皮を1匹使った高級品で、口のクリップで襟巻きをとめられるようになっていた。爪に引っかからないよう注意が必要だった。
岡田圭右ら出演者によるスタジオトーク。岡田圭右は「(子どもの頃に夢中になった芸能人について)おニャン子世代だったので、そこで一番好きだったのは渡辺満里奈さん」などと話した。
エレクトーンの鍵盤は上下に2段の構造で、異なる種類の音色を奏でられる。足元のペダルではベースが弾けるので、一人でバンドやオーケストラのような演奏ができる。当時は高級品だった。
岡田圭右ら出演者によるスタジオトーク。岡田圭右は「(子供の頃を振り返って)鼻垂れてる奴が多かった」などと話した。
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- 岡八郎
NIKEのエアマックスが流行し、当時は品切れが続出して入手が困難になっていた。当時、広末涼子がポケベルのCMで履くなどして人気に火が付いた。また、バブルの時代にボディコンファッションが大流行となった。ジュリアナ東京は1991年にオープンした伝説のディスコで、お立ち台でのボディコンギャルが社会現象となった。営業は1991年から1994年までで、わずか3年で閉店した。
五十嵐夫妻は偽装他人の番組宣伝。