- 出演者
- 朝日奈央 児嶋一哉(アンジャッシュ) 伊藤暢人
佐賀県小城市で生まれた人気のご当地アイスがある。1969年発売のブラックモンブラン。バニラアイスをチョコレートでコーティングし、クッキークランチをまぶした3層構造。主に九州エリアで販売され、年間2000万本を売り上げる。周りを麦畑に囲まれた工場で作られている。創業から約130年の竹下製菓。100人もの従業員を束ねているのが代表を務める竹下真由さん(43歳)。34歳の時、5代目社長に就任。わずか6年で売り上げを2倍に。いま活躍する女性に贈られる「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にも輝いた。老舗メーカーでありながら新たなプロジェクトにも挑戦。ブラックモンブランと地球の2ショットを撮ろうと挑戦。スペースバルーンを使った斬新な企画は話題を呼び、限定パッケージで販売されたアイスは瞬く間に売り切れた。さらに佐賀が拠点だった製造工場を埼玉に増設。販路の拡大を図った。竹下製菓の売り上げはブラックモンブランを筆頭に約50億円に。この日、本社にやって来たのはプロサッカーチーム・サガン鳥栖の運営会社。スポンサードしてほしいとの要望が。地元を盛り立てるのも老舗企業の役割。午後は佐賀のビジネスホテルで勉強会に出席し終わったのは夜8時。このあとは子どものお迎え。真由さんは3人の子どもを育てるママ。送迎の時間が一番子どもとゆっくり話せるという。ブラックモンブランを生み出したのは3代目社長の竹下小太郎さん。祖父の背中を見て育った真由さんが家業を継ぐことは自然の成り行きだった。だが高校生の時に夢中になっていたのはロボコン。ロボット工学の名門・東京工業大学に進学し、ロボコン世界大会に出場。その後、大手コンサル会社「アクセンチュア」に就職。経営のいろはを学んだ。結婚相手が決まったら帰ると言っていたところ、同期入社の雅崇さんと交際1カ月で結婚。望んでいた佐賀への帰京を快諾。真由さんが社長に就任すると雅崇さんは副社長に就任。夫婦二人三脚での経営がスタート。そして竹下製菓はM&Aに挑むことに。
この番組は事業の灯を未来につなぐ「事業承継」を見つめる番組。今回の事例は佐賀県の老舗アイスメーカー「竹下製菓」。竹下製菓は明治時代に創業され、埼玉にも製造拠点を持っている。前は九州でしか買えなかったが、今は関東でも一部スーパーで買えるように。
北海道富良野市にあるリゾートホテル「リゾートイン・ノースカントリー」。35年前に創業した鈴村保司さんの一番のこだわりは料理だという。チーズフォンデュは創業当時からの看板メニュー。目玉は動産牛のステーキ食べ放題だという。1泊2食付で8000円から。従業員は10人。名古屋出身の鈴村さんは北海道の自然に魅了され、19歳の時に単身北海道へ。30歳でノースカントリーのベースとなるペンションをオープンした。50歳のとき、函館の廃ホテルを紹介された。約2億円かけてリノベーションしオープン。しかし去年の春、ホテルを手放すことを決意。
北海道で2つのリゾートホテルを経営している鈴村さんがホテルを手放すことに。暖房設備や修繕費用に何千万とかかるという。そして出会ったのが竹下製菓の社長、竹下真由さん。去年7月、初めて会い、異例のスピードでM&Aを締結。竹下製菓は経営の多角化を進める中で20年前からホテル事業を行っていたという。現在はフランチャイズとして3つのアパホテルを運営。キャリアパスを作ることによって社員のモチベーションも上がってくる。また、北海道は美味しいものがたくさんあるため竹下製菓の事業としても相乗効果があるという。去年、竹下さんは夫と父親を亡くしていた。そんな最中でも、竹下さんはM&Aの締結に向けて挑んでいた。竹下さんは「夫は道半ばだったと思う。もっとやりたいことがあった中で、私がここで立ち止まっていることを彼は望んでいないと。もっと一緒にやりたかったことを一緒にいるつもりでやっていこうと思っていました」と話した。
滋賀・マキノ町にある「吉田酒造」は創業から100年以上続く酒蔵。3年前に廃業の危機に追い込まれたというが、そこに手を差し伸べたのが「夢酒蔵」。後継者不在や経営課題に直面する地方の酒蔵を支援する会社とのこと。出資者は約70人で、夢酒蔵のおかげで吉田酒造は今年も新酒を出荷できたという。社長の大邊誠さんは約40年前に酒造メーカーに就職し、長年本社勤務だったというが、酒造りの現場への憧れから夢酒蔵を立ち上げたという。
日本酒の国内出荷量は1973年から2023年までで78%も減少している。背景にはお酒を飲む人の減少などがあるとのこと。伊藤さんは夢酒蔵について「相当珍しい。酒造りのノウハウや経営手法、そして志がないとできない」などと話した。
京都府綾部市。この地に唯一残る酒蔵「若宮酒造」。1920年創業。蔵人たちの手仕事から生み出される銘酒。綾小町と呼ばれる日本酒。1年前に大黒柱を失った。社長兼杜氏をしていた木内康雄前社長が作業中の事故で急死。何も兆候はなかったという。突然主を失った。夢酒蔵が支援を決断した。異例のスピードで事業継承が成立した。2024年11月、新社長に大邊さんが就任した。喉越しのいいお酒ができたという。
家族経営の町工場の事業承継。大阪市平野区。ものづくりの街だ。一家総出で切り盛りする会社がほとんどだ。1965年に住友が創業。アルミ、紙、フィルムなどでお弁当などに使うおかずを入れるカップを作っている。食品包装資材メーカーだ。中国やタイにも工場がある。年商は9億円。住友壽さんは2代め社長。超なの源さんは専務。親子でうまくいっているとのこと。源さんはグループのもうひとつの事業を任された。商品の詰め合わせの加工だという。後加工だという。ふだんは住友の食品カップにチョコレートを詰めている。後加工ができるとお客さんの要望にものりやすいという。従業員50人。年商2億円。大阪府の製造業の事業所の数は年々、下降している。住友として事業の幅を出したいという源さん。どんな企業とタッグを組むのか?
大阪の食品カップなどの製造メーカーの住友。大阪の町工場は減っている。後継者がいない。働き手も見つけにくい。
- キーワード
- 住友平野区(大阪)経済センサス‐活動調査
大阪市平野区にある「山本製袋所」は1980年創業の食品袋メーカー。作っている袋は「合掌袋」で、フィルムを合掌のように合わせて接着することから名付けられた。従業員は7人で家族経営で切り盛りしているという。しかし社長の山本治光さんは体力面の問題から去年夏に事業承継を決断。サプライチェーンを途絶えさせないためにも会社をたたむことは考えなかったという。この山本製袋所に手を差し伸べたのが「住友」だった。
山本製袋所が救いを求めたのが「住友」。元々30年以上の付き合いがあったという。住友にとっては自社で袋を製造できるようになり、これによって詰め作業だけでなくパッケージまで対応可能に。得意先にとって利便性が高まり、結果として山本製袋所の売上増も見込めるという。そして今年4月2日に株式譲渡契約書への調印が行われ、山本治光さんは3年かけて袋の製造技術を住友の後任へと引き継いでいくという。
新社長就任の挨拶を行った。山本製袋所の従業員の雇用はこのまま継続されることに。
- キーワード
- 山本製袋所