- 出演者
- 加藤紀子 宮崎由加 南波雅俊
今回紹介するのは新潟県新潟市。人口は76.9万人。本州日本海側では唯一の政令指定都市。話題は今季からプロ野球二軍に参戦。新潟市に本拠地を置くオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブは65年ぶりの新規参入で盛り上がっている。新潟駅から車で5分の場所には沼垂テラス商店街があり、ガイドブックに掲載されているので観光客の散策ルートにも。5000人以上が訪れる人気商店街になっているが2021年に経済産業省・中小企業庁主催のはばたく商店街30選を受賞。カフェや洋服、雑貨など、30以上の個性豊かな店舗が並んでいる。名物は生地に新潟県産コシヒカリの米粉を配合した沼ネコ焼きは多い日には一日1000個も売れるという。しかしこの商店街は15年前はシャッター通りだった。アクセサリー・ファッションの店のnemonの長谷部えり子さんは2010年頃はシャッター街で暗い場所で夜歩くのは怖かったと話す。そしてそんな商店街を変えたのはテラスオフィスの代表取締役社長の田村寛さん。打開策を考えていた中で土地や建物を買い取ったという。
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沼垂テラス商店街の名物の沼ネコ焼きについて田村さんは生まれたきっかけにはもともとシャッター街は卸売市場で、野菜を中心に扱っていたのでネズミの被害が多発し、店の人達が野良猫を餌付けしその退治をしてもらおうとネコを飼育していた人が多く、ネコのお菓子が生まれたという。田村さんは昨年度総務省主催の令和5年度ふるさとづくり大賞で優秀賞を受賞した。15年前にシャッター商店街だった沼垂テラス商店街。昭和34年代この場所は沼垂朝市場通りという賑わっていた場所で田村さんもかつてはここで生まれ育った。テラスオフィスの代表と大佐渡たむらで腕をふるっている。大学進学で東京に進出した田村さんは母に商売が厳しくなり東京にいつまでもいて仕送りもなかなかできず戻ってきてほしいと言われたという。そこで目にしたのは人もいなくなり、ずいぶん変わってしまったと思ったという。店主の高齢化や大型スーパーの進出でかつての賑が失われていた。この現状に田村さんはいくら自分の店が繁盛しても地域全体の活力がなければ継続は難しいと考えた。
2010年には惣菜・スイーツの店「Ruruck Kitchen」をオープン。その反響は大きかったというがその中で、出店したいので空き物件はないかと相談があった。相談をしてきたのは現在商店街で喫茶やかぐや布製品を販売しているISANAの中川雅之さん。初めてこの通りをみた印象には度肝を抜かれ、屋根もボロボロだったというが新鮮にもうつったという。しかし周囲からは反対の声があり、飲食のプロフェッショナルも匙を投げるほどの商店街だったがその人すら沼垂の魅力に気づいていないのは良いことだと思えたという。そこで田村さんが中川さんが店を出したいという空き店舗の所有者を仲介。2011年にISANAがオープン。すると自分たちと同じような境遇の人たちが店に集まりこの商店街に出店したいなどの話がでるように。出店を相談した青人窯の大山さんは面白い方向に変化すると考えたが、この時も田村さんが空き店舗の所有者と大山さんを仲介。2012年にオープンした。立て続けの出店でお客が戻ってきたという。
シャッター街だった商店街の沼垂テラス商店街に次々と出店の依頼が田村さんに舞い込んできた。しかし予想外の出来事には管理している組合員が高齢で管理ができないと言われてしまいこれ以上の出店はやめてほしいと言われてしまったという。空き店舗の所有者と幾度と話し合い解決策を模索。そして解決策は田村さんが管理を運営するために商店街の土地や建物を全部買い取ることにした。2014年に株式会社テラスオフィスを姉と一緒に設立。
田村さんが管理を運営するために沼垂テラス商店街の土地や建物を全部買い取ることにした。2014年に株式会社テラスオフィスを姉と一緒に設立。その費用については借り入れだという。商店街で店を構えた父には銀行の信頼があり、そのおかげで借り入れが可能だったという。こうして新店舗が続々誕生。2015年に沼垂テラス商店街として生まれ変わった。田村さんは鳥の管理者はこれから先どう管理していくか悩んでいて自分が買うということで話がうまく進んでいったという。またそれには商店街で店を構えていた両親の信頼があったおかげだと答えた。またISANAや青人窯が来てくれたおかげで今の商店街の賑があると語った。
ふるさとの未来の次回予告。
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