- 出演者
- 小泉孝太郎 ヒロミ
今回はスイーツ界のレジェンド、ピエール・エルメや、青木定治と並び世界大会で優勝した神様が登場。かつて一斉を風靡したちょい悪オヤジの生みの親、イケオジファッションの神が降臨。自己満のこだわりが詰まったリビングも大公開。オープニング映像。
杉並児童合唱団に神様と思う人やお店を聞くと、増田みつ稀ちゃんは、クリオロっていうお店の店長さんが作るマカロンがメッチャクチャ美味しくてと語っていた。そのマカロンの神を調べてみると、世界パティスリー2009 最優秀味覚賞、サロン・デュ・ショコラ パリ 2年連続金賞など、パティシエ界のレジェンドだと分かった。増田みつ稀ちゃんと一緒にお店に向かった。この4日前、合唱団のコンサートでソロパートも披露していて、そのご褒美を買いに行くという。練馬区 小竹向原駅から徒歩3分の洋菓子店 クリオロ(本店)に到着。みつ稀ちゃんの大好物のマカロン・バニラは1個350円。マカロンを選んでいるとそこに現れたのがクリオロ シェフパティシエのサントス・アントワーヌさん56歳。世界パティスリー2009にフランス代表チームのリーダーとして出場。その時作ったケーキがプチガトー部門のニルヴァナと、ホールケーキで優勝したガイア。クリスマスの時期になると、神のケーキを求めて長蛇の列ができる。今回みつ稀ちゃんのために特別に来てくれた。オススメはホールケーキ部門で優勝したガイア。キャラメルクリームを作る時、一般的には水分が飛んでかたくなるのを防ぐため、火を止めて混ぜるが、神は火を止めずに混ぜ続ける。かたくなった分、牛乳を入れて調整する。教え子のジャヌ東京 ペストリーシェフの野口ゆきえさんは、すごく難しくて、足りないと固くなってしまって、多いとゆるくなる、同じ状態のものを作るのが難しいという。みつ稀ちゃんはガイアを食べて、サクサクとふわふわととろとろともちもちが全部あるとコメント。続いては10分で2000本売れたこともある幻のチーズケーキ。焼き揚がったチーズケーキを見ると、ふわふわ。年間15万本売れる幻のチーズケーキをたべたみつ稀ちゃんは、やっぱり口で溶けるなどとコメント。
フランスで生まれ16歳でパティシエの道へ進んだサントスさん。24歳の時飴細工の腕を磨くため生け花を学びに来日。その後、ワインアドバイザーの愛さんと結婚。2000年、菓子学校を日本で開校。約3000人の生徒を指導した。サントスさんは、学校をやったときに毎月新作を作る、すごい商品が余る、奥さんがじゃあ売りましょうとなって、2003年洋菓子店 エコール・クリオロをオープンした。妻・愛さんはサントスさんについて「やろうと思ったらとことん突き詰めるタイプ 今は絵にハマっていてプロみたいに絵を描いています」などと語った。サントスさんはチョコレートの腕も神。2017年、パリで開催されたサロン・デュ・ショコラでは、ピエール・エルメや青木定治と並び最高評価の金賞を獲得。2019年には世界のベスト・オブ・ベストショコラティエ100に選出された。そんなチョコレートのノウハウを使ったスイーツがマカロン。
サントス・アントワーヌはきょうちょうどヨーヨーマカロンを作るといい、みつ稀ちゃんに作るところを見に来ませんかと誘う。世界が認めたショコラティエ、その作り方は常識を覆すものだった。まずはマカロンの生地に使うメレンゲづくり。出来上がったメレンゲをボウルに移して、ここでも手でかき混ぜる。オーブンで18分、焼き上がりを待つ間にチョコレートクリームを作る。一般的には溶かしたチョコレートに温めた生クリームを一気に入れて混ぜるが、サントス式乳化法は、わざと分離させるという。分離させた後、生クリームを追加していくと、なめらかなチョコレートクリームが出来上がる。チョコレートクリームを焼き上がった生地に乗せてサンドして完成。ヨーヨーマカロン・ショコラは1個350円。
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ヒロミはマカロンについて、カラフルなやつを食べたことはあると思うけど、最近は食べたことがないという。ヨーヨーマカロン・ショコラを食べたヒロミは、うまっ!とコメントしていた。
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新宿 41歳レタッチャーにインタビュー。干場さんという昔ちょい不良オヤジを作った人に心酔しているという。ちょい不良オヤジは流行語になり街にも出没。あれから20年、日本橋高島屋に行ってみると神が制作に携わるオーダーメイドスーツが並び、神がクリエイティブディレクターを務めるPELLE MORBIDAの商品が鎮座している。去年、Manhattan Portageとコラボしたバッグパックは高価格でありながら即日完売。イケオジ界の神とは。都内の高層マンションの一室にある神の事務所へ。現在、フリーのファッションディレクターでありながら、講談社ewbマガジン FORZA STYLEの編集長。8畳のベッドルームは衣装部屋として使っている。私服のジャケットは約50着。干場義雅は自己満のこだわりが他にもあるといい、小さくて丸いやつが好きだと話す。例えばたこ焼き、プチシュー、チェリー、特に好きなのが黒いやつでピノと、巨峰が好きで、雪見だいふくだとちょっと大きいと話していた。
ここでクイズ。かつて、自身の著書「いい訳しない生き方。」でイケオジっぽいファッションを着こなしていたヒロミ。背広の語源は何でしょうか?正解は、サヴィル・ロウという通りからきていて、イギリスがスーツのそもそものルーツだという。スーツが日本に伝わる過程でサヴィル・ロウがなまって背広になったと言われている。スーツの起源は16世紀、イギリスの農民がきていた作業着。19世紀には現在のスーツの形になったとされている。1980年代、ジョルジオ・アルマーニやドルチェ&ガッバーナなどのイタリアブランドが登場し世界を席巻。ネイビーとグレーとブラウンの組み合わせがイタリアファッションの基本だという。ワイシャツの裾はなぜこの形になったのか?昔のシャツはパンツと一体型で下着の役割を果たしていた。その名残で裾の前後が長くなっている。干場は自分でアイロンを掛けるといい、シャツは生地を傷めないようアイロンを押し付けずスチームでかける。
ジャケットのアイロンを掛けるポイントとして干場は、襟の裏側にアイロンを掛けると説明。このテクニックだけでスーツが段違いにかっこよくなるという。そんな干場のリビングは約25畳。ソファーはCassina、テーブルはMolteni&C。あれもこれもイタリアのブランド。神の行きつけのお店は、港区赤坂のラ・スコリエーラ。干場は、小泉孝太郎さんと飲みに行きたいと語っていた。
干場義雅がスタジオに登場。小泉孝太郎は、さっきのVTRよりも足が黒くなっていると指摘。干場が言っていたお茶漬けに氷をいれるのは小泉孝太郎は非常によく分かるという。干場が、今イタリアで大人気のサマーシューズを試してほしいと持ってきた。Loro Pianaのサマー・ウォーク・モカシンは16万600円(税込み)。TOD’S テクニカル ファブリック&レザー ソックススニーカーはニットのスニーカー。今回持ってきているのは素足ではいてもケガをしにくいという。ヒロミと小泉孝太郎がそれぞれ試着をしていた。
ヒロミがジャケットを着た姿を見て、干場はいいなで肩、なで肩はイタリア人の一番の褒め言葉だと語る。小泉孝太郎はBrunello Cucinelliのサングラスをかけて、独身貴族だと言われていた。
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オー!マイゴッド!私だけの神様、教えますの次回予告。