- 出演者
- 長谷川博己
オープニング映像。
イランへの軍事作戦の影響で中東地域の空港が機能停止に陥り、Meiji Seika ファルマは先が見えない状況に気をもんでいた。日本の医薬品の7割が原薬や原材料を海外からの輸入に頼っている。明治製菓は1994年にペニシリンの国内製造から撤退したが、再び国産化に向けて動き出していた。日本のペニシリン産業は、GHQの指導のもと大量生産技術を確立した。製造再開はMeiji Seika ファルマの永里社長肝いりのプロジェクトだった。
明治製菓は1946年にペニシリン製造から医薬品事業をスタートし、1950年から海外輸出を開始した。Meiji Seika ファルマ 岐阜工場は1971年にペニシリン原薬工場として操業を開始した。プラザ合意により円高が進行し、ペニシリンは中国との価格競争で窮地に陥った。1988年に原価低減プロジェクトを立ち上げ、永里社長はそのメンバーに選ばれた。1994年にペニシリンの国内製造から撤退し、日本国内でペニシリンを製造する会社はなくなった。一方で抗菌薬の原材料で世界トップになった中国は、ペニシリンなどを大量に生産し世界20か国以上に輸出している。日本も抗菌薬の原料のほぼ100%を中国からの輸入に頼っている。
2019年3月に感染症治療や手術時の感染予防に使われる抗菌薬セファゾリンの供給が停止し、全国の医療現場で混乱が起きた。原材料を作る中国の工場でトラブルが起きたこと。政府は11の物資を特定重要物資に指定した。特定重要物資の指定された抗菌薬の4成分の製造に手を挙げて選ばれた企業は、国の支援を受けられる。
Meiji Seika ファルマ岐阜工場製造部の山田さんは定年退職まであと1年。入社してから10年間ペニシリン製造の現場に立っていた。ペニシリン製造は、実験用タンクの中で培養したペニシリン生産菌株にブドウ糖などを加え、温度や酸素の供給量を調節することで数を増やしていく。菌株が生み出すペニシリンの量が多ければ生産性が高まる。山田さんは高校卒業後に入社して以来42年様々な培養の現場に携わってきた叩き上げの技術者で、2023年からペニシリン製造復活に向け培養と分析を繰り返してきた。
Meiji Seika ファルマ岐阜工場では、2023年からペニシリンの培養と分析を繰り返してきた。直近の試験では目標を上回る結果を出した。永里社長と山田さんは、かつて中国とのコスト競争に敗れて悔しい思いをした。国内の1年間の最大需要200トンを賄う大型培養槽が残っていたのは岐阜工場だけだった。年代物の設備を使いこなすには、ベテランの経験と技が欠かせない。
Meiji Seika ファルマに入社して岐阜工場に勤務することになった石川さんは、東京理科大学在学中に国立感染症研究所でワクチンを研究していた。山田さんのもとで作業を教わった石川さんは、その後新たな部署に異動しペニシリンの生産性向上に取り組んでいる。
11月中旬、岐阜工場では山田さんのかけ声で培養槽の中にペニシリンの菌株が投入され、30年ぶりの製造が再開した。山田さんたちが培養したペニシリンから成分を抽出して精製したペニシリン系抗菌薬の原料「6-APA」。これをさらに加工し、薬の有効成分が作られる。国の支援を受けて完成した新たな建屋では、6-APAを抽出し精製する工程を自動化することでコスト削減を目指す。ことし3月11日に6-APAは出荷され、山田さんも出荷現場に立ち会った。
Meiji Seika ファルマの6-APAは大塚化学徳島工場に到着した。今後は国内メーカーが連携して国産原薬を製造。2030年度中には国産原薬を使った抗菌薬の供給を目指す。山田さんはことし3月に定年退職した。
4月、岐阜工場には新人の松久さんが入り、定年後にシニア社員として働くようになった山田さんが技術を伝えている。
エンディング映像。
次回予告。
