- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) 芦田愛菜
オープニング映像。今回は「古き良き日本を愛する2時間SP」
初登場の昭和ホーロー看板博士ちゃんがちょっと奇妙な昭和を授業。時計博士ちゃんは過去最難関の修理に挑む。
バブル大好き博士ちゃんの大輔くんが伊豆でバブル時代リゾートマンション「エリゼ熱川」を内見。1991年に建てられた13階建て大型リゾートマンションで、大理石をふんだんに使ったロビーからは海が望めた。共有施設は大浴場付きやスポーツジム、屋内屋外プールなど。分譲当時8000万円の2SLDK約102平米の部屋に案内してもらった。目の前が海で部屋から水平線が見えた。
バブル大好き博士ちゃんの大輔くんが伊豆でバブル時代リゾートマンション「エリゼ熱川」を内見。1分譲当時8000万円の2SLDKの部屋に案内してもらった。現在の販売価格は970万円になっていた。夜には海に月明かりが反射したムーンロードが見える。続いては伊東で「ロワジール伊豆一碧 弐番館」を内見。1993年に建てられた7階建てで、波の屋外プールがあった。
バブル大好き博士ちゃんの大輔くんが伊東で「ロワジール伊豆一碧 弐番館」を内見。共有施設は波のプールやディスコルームなど。レストランもあり、居住者以外も利用可能。分譲当時3800万円だった2LDKの部屋に案内してもらった。家庭陽サウナも付いていた。現在の販売価格は1180万円になっており、管理費は3万6000円。
ホーロー看板博士ちゃんの蓮生くんが初登場。ホーロー看板は明治から昭和中期にかけて使用された金属にガラスを焼き付けた屋外用の広告看板。ストリートビューで見つけたホーロー看板を訪れるのが好きで、祖父や祖母と一緒に各地のホーロー看板を巡っている。趣味部屋には大量のホーロー看板が飾ってあった。リビングにはアイスの棒でホーロー看板の風景を手作りしたジオラマがあった。
ホーロー看板博士ちゃんの蓮生くんが初登場。戦前のたばこの看板をスタジオで紹介した。ガラス質の釉薬を焼き付け光沢ある仕上がりになっている。行きつけの骨董屋で買っているという。祖母の孝枝さんもスタジオに登場。蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業する。
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- 映像資料館 日映アーカイブ
蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。「フケ妙」と書かれたフケ薬の看板を紹介した。
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蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。「フケ妙」と書かれたフケ防止薬の看板を紹介した。フケ防止薬が売れ始めたのは、この時代にスーツが流行りフケが目立つようになっため。髪を洗う習慣が広まったこの頃、女性の間ではパーマが流行した。蓮生くんはレトロ自販機が好きになったのがきっかけで、調べていくうちにホーロー看板にハマったと話した。
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- 帰れマンデー見っけ隊!!昭和日常博物館
蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。「ちからわた」と書かれた綿メーカーの看板を紹介した。昭和初期に日本の綿織物輸出は世界1位になり、町中には様々なホーロー看板が見られた。当時は布団などに自分で綿を買って入れていた。蓮生くんが所有する「だるまわた」のホーロー看板を紹介した。当時は綿会社が知名度を上げるべく競ってホーロー看板を作っていた。
蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。一文字「塩」だけ書かれたホーロー看板を紹介した。かつて塩は国が独占して売っていたため統一された看板だった。日露戦争で資金不足に苦しんだ日本政府は財源を確保するため専売制にし、収入は軍事費用にあてられた。志ほと書かれた看板は「ほ」の頭が突き抜けていた。商売が頭打ちにならないようにという縁起を担いている。
蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。公衆電話の看板を紹介した。かつて公衆電話は電話ボックスだけでなく店の中にも設置されていた。商店としてはお客さんを呼び込み通話料金から収入を得ることもできたため、設置希望が殺到した。1970年以前は10円で通話無制限だったため、長時間独占する人が増えて長蛇の列ができることもあった。
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- 映像資料館 日映アーカイブ白金台(東京)
「テレビ朝日開局65周年記念 内村プロデュース復活SP」の番組宣伝。
蓮生くんがホーロー看板から学ぶ奇妙な昭和を授業。電話加入権の売買をしていた金融業者「マルフク」のホーロー看板を紹介した。かつて日本各地に貼られていた。
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- マルフク映像資料館 日映アーカイブ
時計博士ちゃんの昂輝くんが新たな時計修理に挑む。今回依頼された時計は内部までサビまみれでゼンマイも断裂し、時計として壊滅的な状態だった。依頼者の正司さんに話を聞くと、祖父の形見で現在の今の今にかけてあった時計だという。大学受験の勉強中に眠くなったとき時計の音で目が覚めた、孫たちの身長をつけた大黒柱の上にかかっていて家族の成長を見守ってくれたと思い出を語った。
時計博士ちゃんの昂輝くんが新たな時計修理に挑む。時計の針は東日本大震災発生の時間で止まっていた。正司さんは気仙沼市の小学校の校長先生をしていた。生徒たちを避難させたあと救援活動のサポートにまわった。家族の無事は確認できたが、大島の自宅にはなかなか戻れなかった。帰ると家の中は津波でほとんど流されていたが時計だけが残っていた。それ以降止まったままの時計を13年間をかけていた。テレビで昂輝くんの存在を知り、時計を修理してもらって前に進みたいと依頼したという。昂輝くんはサビでくっついた部品を解体していった。新たなサビを防止するために不純物が含まれない純粋で煮て塩抜きをし、細かいサビをやすりで磨いていった。ゼンマイは切れていたため、部品などに使うために保管していた動かない時計のゼンマイを移植した。ガンギ車を支える金ピンの1本が一部欠けて変形していた。
時計博士ちゃんの昂輝くんが新たな時計修理に挑む。ガンギ車を支える金ピンの1本が一部欠けて変形していたため、ピアノ線で金ピンを自作して差し替えた。時計に機械を戻すと振り子が左右に振れて修理成功となった。
10万円でできるかなの番組宣伝。
昂輝くんが修理した時計が正司さんのもとに届いた。時計は無事動き、正司さんはこの音を聞いて少しずつ前向きになれたらいいと話した。
「君も博士になれる展」の告知。