- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) 芦田愛菜 伊集院光 杏
オープニング映像。
今回は東大に合格して受験勉強を終えた山本・リシャール登眞くんと、これまで世界遺産を45か所巡ってきたゲスト杏がイタリアの遺跡を訪れローマ帝国がなぜ滅びたのかに迫る。
オープニングの挨拶。ゲストの伊集院光は以前、登眞くんと白川郷や軍艦島を巡った。
登眞くんは東大法学部で国内法を学んでいる、学食も美味しいと話した。
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今回は東大の最新の発掘現場を含む3つのスポットを巡りローマ帝国滅亡の謎に迫る。芦田はロムルスが築いたことでローマになったと言われていると話した。登眞くんはローマ帝国はその大きさが特徴だと話した。古代ローマも含めると1200年にわたって繁栄した。
約300年前にとある地中から約2000年前の建物が完全な形で出土した。あたり一帯を掘り返すと、火山灰に飲み込まれていたローマ帝国の街が眠っていた。登眞くんと杏はポンペイ考古学公園を訪れた。保存の観点から入場人数に制限がかかっている。中での発掘は継続中だった。
ポンペイ内部を訪れた。フォーラムの語源となったフォロは自由に議論が行われていた場所だった。西暦79年に起きたヴェスヴィオ山の大噴火で火砕流、火山灰が街を飲み込んだ。発掘されるまで1700年歴史から忘れ去られたが、火山灰が降り積もったことで保存状態は良く古代のタムカプセルと呼ばれた。
ポンペイ内部のメイン通りを訪れた。両脇には高くなった歩行者用の道があり中央の馬車用の道は冠水したときも渡れるように横断歩道のような石が設置されていた。様々な民族が共存できるよう道幅を統一し交通整理を行っていた。警察がなかったため、馬車が通ってほしくない場所には事故を防ぐため障害物が置かれていた。圧倒的な権威と技術力によって軍の遠征や貿易が活発化し、ローマ帝国は勢力を拡大させていった。
フォロの周りには神殿や市役所、裁判所などパブリックな施設が置かれていた。2人は裁判所跡を見て回った。当時ローマには警察がなかったため市民は何かあるとすぐに訴え、判決のもとで社会秩序を作っていった。
スタジオメンバーがローマ人の衣装を着てローマ帝国の暮らしが見える当時の道具を見て何に使われていたかを予想した。正解は入浴時に香油をそいだり背中などをかくための道具だった。
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ポンペイにあった飲食店跡を見て回った。当時一般家庭にキッチンはなく多くの市民は外食やテイクアウトが中心だったと言われ、100軒以上の飲食店が見つかっている。海鮮料理や香辛料を使った肉料理など豊かな食文化があり、パン屋は30軒以上あったと言われている。
ポンペイにあった飲食店跡を見て回った。カウンターに偽造コインかどうかを確認するための穴があった。領土を拡大したことによる異民族の流入も影響していた。近くには運送屋の看板も見られ、言葉が通じなくてもわかるように荷物を運ぶマークが描かれていた。
ポンペイにあった市場跡を見て回った。壁画も火山灰に埋まっていたことで劣化から逃れ、2000年経っても美しいポンペイレッドを残していた。
ポンペイには人型の石膏像も展示されていた。火山の噴火によって2000人の人々は一瞬で火山灰の中に生き埋めになった。灰の中で肉体はなくなり、人の形をした空洞が残った。考古学者は空洞に石膏を流し込んで石膏像を作った。これまで親子と考えられていた2人の像が他人だったことが判明。1人の男性が子どもをかばおうとしたのではと言われている。壁には約160年前の落書きがあった。登眞くんはアンコールワットにも日本人武士の落書きがあると話した。
牛の頭が描かれた水飲み場跡を発見した。跡を見て回った。街中に40カ所以上設置され市民は自由に使うことができた。2人はすり減り方に差があるのは右利きが多かったからではないか、ラスコーの壁画も左手が多く描かれているなどと話した。
通りの脇に水道管跡を発見した。2000年前に金属製の水道管が作られ街中に張り巡らされていた。登眞くんは生活排水を垂れ流しにしていたので道自体はキレイではなかったと話した。
ポンペイの一番高台にある分水施設跡を発見した。北端にある非公開施設で、水源から引いた水を街へ行き渡らせる最重要インフラ。今回特別に中に入らせてもらうことができた。
観光では立ち入れない分水施設の裏側エリアへ。街の外には巨大な壁があり、建築を司った公職者のお墓が建てられていた。2人は生と死を大きな城壁で分けていたと考察した。
ポンペイ最大規模の豪邸ヴェッティ家を訪れた。壁画にはイタリア半島には生息していなかった動物が描かれていた。ローマ帝国がアジアやアフリカなどに勢力を拡大させていたことがわかった。中央には中庭があった。応接間として使われていたとされる部屋に描かれた壁画は、鮮やかな当時の色を今に伝えていた。
貴族の屋敷にある傾斜のついた台が何に使われていたかをスタジオで予想した。正解は寝そべって食事をする台。娯楽が少なかった当時食事は大きな楽しみで、だらしない姿勢で食べ散らかしていた。
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