- 出演者
- 笑福亭鶴瓶 杉原凜 松島聡(timelesz) 澤部佑(ハライチ) 岩井勇気(ハライチ) 本田望結 八木勇征(FANTASTICS from EXILE TRIBE) 河合紫乃
今回はどん底から這い上がった不屈の女性。
FANTASTICS・八木は3年ぶりの出演。本田望結は2014年に初出演している。
2016年開催のリオデジャネイロ五輪。ある競技で日本の歴史が変わった。女子バトミントンの女子ダブルスでタカマツペアが日本人初の金メダル。さらに女子シングルスでは奥原希望選手が日本人初の銅メダル。その後も日本人選手たちが世界の舞台で活躍している。その舞台に自分も立つことを目標に過酷な練習を自分に科していた1人の女性・河合紫乃。小学生から注目の選手となり国内トップ選手として日本代表入りを目指していた。しかし彼女は最悪とも思える結末を迎えてしまう。河合さんは小学2年生からバドミントンを始め県大会で優勝する実力だった。バドミントン漬けの毎日で卒業後は実業団チームに所属した。いつかは日本代表になって世界の舞台に立つ思いで日々、練習に励んだ。社会人2年目、最も恐れていたことが起きた。練習を終え立ち上がった時、左脚がロックされたように動かなくなった。すぐに治ったが、その日から左股関節がジンジン痛み出した。実は実業団に入る前、法政大学1年生の時に激しい練習をこなしていたが脚に突然、異変が。右膝に痛みが。すぐに右股関節に痛みが。病院へ。膝などの関節は周囲の靭帯や筋肉によって支えられている。河井さんの場合は靭帯や筋肉がゆるく膝を十分に支えきれない状態。激しい運動で膝に負担が集中し、痛みとして現れ膝をかばい股関節が痛みだしたと考えられる。痛みをごまかしながらトレーニングを増やした。結果、長時間座る事もできなくなり普通に歩くこともできなくなった。
病院へ。関節唇とは関節を安定&動作時の衝撃を和らげる役割がある。手術への不安はあったが2011年、関節唇の損傷修復の手術を受けた。リハビリと練習で大学時代、全日本学生選手権で団体戦で優勝することができた。実業団に入って2年目に逆の脚の痛み。
八木は小学5年生からサッカーを始め大学2年までやっていた。プロを本気で目指していたという。本田は小さい頃からフィギュアスケートをしている。
右股関節の手術から数年後、今後は左股関節に痛み。病院へ。2015年、左側の関節唇損傷の手術を受けた。手術は成功し術後数週間もすると徐々に歩けるようになったが、左脚に体重をかけると支えられなくなった。境界型寛骨臼形成不全と診断された。寛骨臼が太ももの骨の先端を包み込み支えている。寛骨臼形成不全はお椀が生まれつき浅く太ももの骨を十分に支えられていない状態。日本人に比較的、多く見られる骨の異常だという。河井さんは周りの筋肉で補っていたが手術で支えていた筋肉が落ちガクガクするようになったと考えられる。股関節につながっている腸骨の一部を切り太ももの骨を覆う範囲を広げ股関節を安定させるもの。精神的なダメージは大きかった。それでもぐらつく脚を直すのは手術をするしかなく2016年、手術を受けることに。術後、かなりの激痛。股関節に体重をかけられず車椅子生活になってしまった。この頃、リオデジャネイロ五輪でバドミントンのメダリストが誕生していた。ダブルスでは河井さんと同年代コンビのタカマツペアが金メダル。シングルスでは河井さんの3歳年下の奥原希望選手が銅メダルを獲得。
ハライチ・澤部はバスケをしていた。中学生の時はすごかったという。ハライチ・岩井は幼稚園からサッカーをしていた。
車椅子生活となった河井さん。大学時代の後輩・田中志穂がやってきた。後に女子ダブルスの世界ランキング4位に輝く実力者。車椅子になって半年、4度目の手術となった。左脚が全く動かなくなった。完全に車椅子生活となった。悩んだ末に会社をやめた。脚を治そうといくつもの病院へ行くも原因は分からず。絶望から食事も喉を通らなくなり体重は半分の約30kgになった。こんな状態が1年以上、続いた。2017年、バドミントンで奥原希望選手が日本人初の女子シングルス世界選手権で優勝を達成。一方、河井さんは引きこもったまま。目に飛び込んできたのは見舞いにきてくれた田中志穂選手が国際大会で優勝した姿だった。後輩の活躍を見て心の底から羨ましいと思った自分がいた。
ハライチ・岩井は柔術を習っている。柔術は組み合って相手を倒し主に寝技で戦う格闘技。
引きこもっていた河井さん。後輩の活躍する姿を見てスポーツがしたいと思った。一人暮らしを決意。たまたま見つけた車椅子を固定し行うフェンシングを見つけた。パラバトミントンを挑戦を最初に考えたがコートを駆け回った自分と脚が動かない今の自分を比べるのが嫌だった。日本パラフェンシング協会に問い合わせると練習を見学することに。そこは日本代表の練習場だった。剣の重さは約750gで体重も半分・筋力も落ちていて剣を持ち続けることそらできなかった。そこで体重を増やすため食べることから始めた。最初はおにぎり半分も食べられなかったが数日後にはおにぎり1個分を完食。1年以上かけ食べる量を増やし、筋トレで基礎体力を増やしリハビリも再開。すると体重が戻ってきた。練習にも熱が入りスポーツで汗を流す久しぶりの感覚に笑顔が戻った。持ち前の運動神経で上達していく。この頃から目標はパラリンピック出場。だが脚の状態が悪く感覚がなくなり火傷にすら気づかなくなり、知らない間に骨折していることも。その後もフェンシングの数々の大会に出場。2023年にはフランスの大会で銅メダルを獲得。世界ランキングで上位にはなれずパラリンピック出場は厳しい状態だった。そんな時、バドミントン時代の仲間と再会。この再会が運命を大きく変える。バドミントンとはあえて距離を置いていた。5年ぶりにラケットを握った。シャトルを打つ高揚感は昔から何も変わっていなかった。フェンシングを諦めたくはなかったが、悩んだ末に再びバドミントンの世界に飛び込むことを決意した。この頃、左脚が黒く腫れていた。
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- 日本パラフェンシング協会
実は日本人に多い股関節の形成不全。骨盤側の受け皿による大腿骨頭の多いが少ないため痛む。形成不全は日本人の推定最大1400万人。生まれつきの骨格や股関節の発育が関係している。生まれつき・成長過程で股関節の可動域が広い・体が柔らかい人は多い印象。
再びバドミントンの世界に飛び込むことを決意した。この頃、左脚が黒く腫れていた。彼女はもう一度、歩きたかった。2024年、左脚切断手術をした。股関節から下を切るのではなく太ももから下を切ることになった。義足で歩けるかもしれないとの思いからだった。切断後の彼女に新たな試練が待ち受けていた。左脚を失った体はバランスを取るのが難しく立つことすらできない。懸命にリハビリに挑んだ。義足に挑戦した頃、麻痺があるため一歩も進めなかったが、体幹トレーニングなどを取り入れつつ特殊なコルセットを装着すると切断から3か月後、8年ぶりに歩くことができた。そして走れるように。彼女の挑戦はここで終わらない。病院でもできるトレーニングを行い自分のペースでトレーニング。地道な努力を重ね切断して半年、日本選手権の舞台に立った。そして日本代表となった。切断から約1年半後、今年2月に日本代表として試合。メダリストを破り世界一に。さらに6月の国際大会では二冠。左脚切断から2年で世界ランキング1位になった。
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- 世界バドミントン連盟
実は脚を切断後、深刻な症状と戦っていた。それはないはずの脚が痛む幻肢痛。末梢神経や脊髄、能の神経回路の変化などが複雑に関係していると考えられる。電撃や焼け付くな痛みだという。幻肢痛を和らげるミラー療法というものがある。失った腕や脚がsンザイするように視覚的に見て能の運動機能や感覚機能の回復を促す。麻痺した腕の運動機能改善・幻肢痛の軽減など国内ではリハビリに応用されている。
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- 幻肢痛
「X秒後の新世界」の番組宣伝。
「上田と女が吠える夜」の番組宣伝。
「FANTASTICS LIVE TOUR 2026 “SUNFLOWER”」の告知。
河井選手はどんなトレーニングをしているのか。コートでの練習はシーズン中はほぼ毎日4時間ほど。今、2028年のロサンゼルスパラリンピックで日本人初の立位での金メダリストになることを目標に夢に向かって走り続けている。
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