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オープニング映像。オウサマペンギンが100年ぶりに南米大陸に帰還。
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- オウサマペンギン
南米大陸の南端、チリとアルゼンチンに跨るフエゴ島は南極大陸からわずか1000km。夏でも最高気温は10℃ほどと冷涼な気候だ。島の南を流れるビーグル水道はダーウィンも訪れ、その時の船の名にちなんでいる。ビーグル水道にはいくつもの島が点在している。島にはマゼランペンギンのコロニーが。ジェンツーペンギンは独り立ちを前に子どもの走りを鍛える。フエゴ島周辺は昔からたくさんのペンギンが暮らすペンギン王国。オウサマペンギンの名前の由来のサイズはそのサイズ。発見された当時は世界最大のペンギンだった。1884年、30cmほど大きなペンギンがコウテイペンギンという別の手に分類され世界一ではなくなった。コウテイペンギンが暮らすのは南極だけ。オウサマペンギンは南極周辺の広い範囲に分布。最近、南米大陸にも約100年ぶりに現れている。
フエゴ島の西側イヌティル湾にはオウサマペンギンのコロニーがある。オウサマペンギンの番は普通、1羽のヒナを約15カ月かけて育てる。子育てに必要なスペースを確保するため、小競り合いは日常茶飯事。捕鯨が盛んだった19世紀、南米大陸にも捕鯨船が来ていた。クジラとともにペンギンもアブラの原料として乱獲されて、1900年頃にいなくなったとされている。オウサマペンギンが暮らすのは南米大陸周辺の島々。島の周りには温度の違う2つの海流がぶつかる潮目があって、世界一豊かな漁場と言われている。その潮目がいま、温暖化の影響で南極に近づくように変化している。この変化によってイヌティル湾に近い繁殖地サウスジョージア島ではペンギンの食べ物が豊富になった。すると個体数が激増、世界一のの巨大コロニーになっている。数が増えた結果、新天地を求めた一部のペンギンがフエゴ島にやって来たのではないかと考えられている。南極周辺の島々では3月になると寒さで小さなヒナや卵は死んでしまい大きなヒナばかりになる。一方、イヌティル湾の寒さは他の生息地ほど厳しくないため、幼い子どもも生き延びられる。また、風邪が強く人間の開発を免れたことで、ペンギンが行き来しやすいなだらかな海岸線が今も残されている。
セシリア・ドゥランさんは代々、イヌティル湾で牧場を営んできた。コロニーがあるのはセシリアさんんお土地で、私設の保護区だ。2010年にオウサマペンギンがやってきたが、人々の行き過ぎた行動によって減少した。セシリアさんはペンギンを守ろうと決意し、保護区を設置し柵を作った。ペンギンたちにストレスを与えず観察できるよう、小屋も建設した。考古学者とともにコロニーを調査すると、大昔からイヌティル湾に暮らしていたことがわかった。
育児帰還でないオウサマペンギンたちは次の繁殖が始まるまで自由な時間を過ごしている。放牧されたヒツジたちが迷い込むとヒナたちはパニックに。親鳥たちは翼を広げてけん制。ヒツジはペンギンたちを襲いはしないが、混乱した状況の中、親鳥が卵を落とすことも。1951年に輸入されたチコハイイロギツネはフエゴ島全域に生息している。本来、天敵がいない離島にコロニーを作るオウサマペンギンは身を隠す巣などの天敵対策を持たない。襲われて9割のヒナが命を落とした年もあったという。イヌティル湾は狩り場が圧倒的に浅くて近いので食べ物を頻繁に届けられる。イヌティル湾のヒナは他の生息地より3か月も早く独り立ちするという報告もある。浅く潜るイヌティル湾のペンギンにカメラを取り付けての狩りの様子を撮影した。
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