- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 新井恵理那 椿鬼奴 たけうちほのか
岐阜県の白川口駅から路線バスに乗り、終点で秘境家族について聞き込み。移住してきた家族がいると教えてもらい、その家族を訪ねた。山の中で暮らす雄一さん久美之さん夫婦は息子、娘との4人家族で犬、ヤギ、ニワトリを飼育している。築120年の古民家を土地込み100万円で購入して暮らしている。空き家を自ら修繕し、敷地には廃材で作った鶏小屋や薪小屋もあった。元々は名古屋の街中で暮らしていたという。20種類以上の野菜を栽培し、別の場所にはテニスコート10面分の田んぼもある。米や野菜はほぼ自給自足している。
たけうちほのかは家族が中が良く、山登りをしたり記憶がなくなるほど飲んだりすると話した。
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- 竹内涼真
岐阜の山奥で暮らす雄一さん一家を訪ねた。食事では、敷地で取れたモロヘイヤやオクラを使ったネバネバサラダや猪肉を使った肉野菜炒めなどを作った。かき揚げに入っていたジャンボニンニクは無臭ニンニクとも言われ、ネギに近い種類だという。
岐阜の山奥で暮らす雄一さん一家を訪ねた。雄一さん一家が食べていたジャンボニンニクとエノキのかき揚げをスタジオで試食した。夜11時になると家族みんなで歯磨きをし、寝るときも一緒だった。学校がある時は朝5時に起き、息子の葵ノくんは犬の散歩に行く。
たけうちほのかはローカル路線バス乗り継ぎの旅Wに出たとき80キロ歩いた、ホテルがなくてスナックに泊まらせてもらったと話した。鬼奴はバス旅に出たときガチすぎて初日喋りたくなくなったと話した。
岐阜の山奥で暮らす雄一さん一家を訪ねた。雄一さん久美之さん夫婦は名古屋の大学に通う同級生だった。大学卒業後に同棲を始め、雄一さんはアルバイトをしながら音楽活動、久美之さんは手作り雑貨などを売って生活していた。久美之さんが喫茶店をやりたいと相談した友人から物件を勧められ、名古屋の街中で喫茶店をオープンした。大繁盛店になり、その後結婚した2人は2人の子どもに恵まれた。土がある所ばかり歩きたがる子どもの姿を見た夫婦は、土のある所で暮らしたいと家を探して5年かけて各地を巡った。岐阜の山奥の家を選び、9年前に喫茶店をやめ完全移住した。子どもが遊ぶための滑り台も手作りした。一家は「Jaaja」というバンドを組み、現在はライブの収入と栽培した食材で生活している。
福島県の標高700mの森の中にある竪穴式住居に1人で暮らす久さんを訪ねた。生活用水は沢でポリタンクに組んでいる。借りている土地は10万平米で、借りた当初は毎年1万2000円を払っていたが草刈りをして管理することを条件に0円になった。ヤギの放牧スペースでは草を食べてもらい管理している。昼には、かぼちゃの新芽、自作した豚骨スープ、トマト、ご飯、レトルトカレーを合わせたトロトロ豚肉カレーを味わった。トラクターで動く移動式のニワトリ小屋もあった。移動させることでエサ場となる虫を食べさせていた。農業を営む両親のもとに生まれた久さんは高校卒業後、愛知県の建設会社に就職した。24歳くらいの時に孤独に押しつぶされてうつ病のような状態になり、故郷に帰った。地元の建設会社に再就職し、46歳のときお見合い結婚。娘が生まれ仕事に邁進したが、59歳の時にリストラと離婚という悲劇に見舞われた。久さんは60歳で農家に転身し、娘のために朝から晩まで働いた。娘は新潟大学に進学し、現在は働いている。これからは自分の好きなことをやろうと、竪穴式住居をはじめ薪ストーブに移動式鶏小屋などお金をかけずに作りたいものを作った。その場所に選んだのが実家に近い福島の森の中だった。
久さんを取材する2日前、久さんを紹介してくれた隆司さんを取材していた。標高750mの2世帯の秘境集落に暮らしていた。築30数年の家の玄関にはシカ除けのオブジェがあった。クマも出没するといい、ケモノ除けの拳銃を所持していた。敷地には自宅以外に基礎工事以外を自作した6棟の建物があった。森の中ではバルコニー付きの小屋を建設中だった。16種類の野菜を栽培し、野菜は自給自足している。妻も合流し一緒に畑作業をした。お風呂は自作した五右衛門風呂で、裏には森が広がっていた。
鬼は前に住んでいた家が物が動いたりする家だった、タンスの上に飾っていたベトナム土産の人形が気づくと家の裏にある神社の方を向いていたと話した。
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たけうちほのかは飲みすぎて通っていた幼稚園の前で寝ていたことがあると話した。
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隆司さんは若い頃定職に就くことなく日本中を放浪していた。26歳の時に北海道で妻と出会い2年後に結婚した。埼玉県で会社勤めをしたが1年で退職。妻の支えで暮らす中、隆司さんはあることで大成功を収めた。
隆司さんはプロの陶芸家だった。日本中を放浪する中で陶芸にハマり、結婚後も妻に支えられながら腕を磨いた。やがて六本木や銀座で個展を開けるまでになった。40歳のとき穴窯を設置できる場所を探し求め、福島の山奥にたどり着いた。
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