- 出演者
- 所ジョージ ビートたけし 岩田絵里奈 山田杏奈 濱口優(よゐこ) 梅沢富美男 中西茂樹(なすなかにし) 櫻井翔 やす子 松村沙友理 山田杏奈
梅沢さんは「プールはバカの宝庫だね」、濱口さんは「1歳半の子どもがいるからドキドキした」などと話した。風船太郎さんがパフォーマンスを披露し、やす子さんも風船の中に入れられた。
スマホや防犯カメラなど、様々なカメラが偶然とらえた瞬間をあつめた番組を紹介。アメリカ・メリーランド州エリコットシティーは、2016年に1000年に1度と言われる大洪水が起き、壊滅的な被害を受けた。アンティークショップを運営している夫婦はその後なんとか店を建て直したが、その10ヶ月後にまた大洪水が起き、危機的な状況に陥る。
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- アメリカエリコットシティー(アメリカ)
アメリカ・メリーランド州でおこった1000年に1度と言われるほどの大洪水が立て続けに再びおこった。2回目の洪水でアンティークショップに2人が閉じ込められたが商品でドアを破り脱出。洪水に取り残されながらも助かった。アメリカ・サンタクルーズでスタンドアップパドルボードを楽しむ2人のうち1人が心臓発作で倒れた。そこで救急隊員が到着し蘇生するが効果がなく病院に搬送。救急車の途中で意識を取り戻し助かりその後2人は再会し婚約した。イタリア・ベネチアでは、イギリス人のカップル2人がみたのは、巨大クルーズ船がエンジン故障のため港に突っこむところだった。
2019年、イタリア・ベネチアで2000人以上が乗船しているクルーズ船がエンジン故障となり港の小型ボートに突っ込んだ。幸い4人が軽傷を負っただけですんだが、これがきっかけでクルーズ船への反対運動が加速し、今ではクルーズ船は町の中心部に入ってこなくなった。オーストラリア・シドニーではバイクにのったバイクのボディーカメラが撮影したのはカンガルーが赤ちゃんを落としてしまうところ。バイクに乗っていた男性は赤ちゃんを拾い上げ動物保護施設にあずけることができ数カ月後無事野生に返された。イギリス・イーストサセックス州で柵にツノが引っかかり大暴れするシカを助ける映像が紹介された。
ビーチで心臓発作を起こした男性について、やす子さんは「助かったのは良かったと思うけど心臓発作が起きたビーチでプロポーズは縁起が悪い」などとトーク。スタジオでは突如カウントダウンが始まり赤ちゃんカンガルーのぬいぐるみを持たされた中西さんに親カンガルーが殴られるコントがおきた。
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ベトナム戦争を象徴する写真”ナパーム弾の少女”で撮影したフィン・コン・ウトは殉死したカメラマンの兄・フィン・タイン・ミに憧れカメラマンとなった。この戦争は泥沼化しその後送られてくる写真などは衝撃的なものばかりで、虐殺事件までもおき連日報道された。アメリカ国民は自国軍の残虐行為について反戦運動を活発化させた。そんな中、南ベトナム・チャンバン村に空爆作戦を展開し、取材していたウト氏らは取材。一部の村人が一次避難していた寺院にも空爆がおちあたりが火の海となった。この時ウトが撮影した写真がナパーム弾で衣服が焼け落ちてしまった9歳の少女だった。
ベトナム戦争の終わりを早めた一つのキッカケともいわれている1つの写真は、ナパーム弾により衣服がすべて焼け落ちてしまった少女、9歳のファン・ティ・キム・フック。ジャーナリストのウェインたちは少女を助けるべく水を飲ませたり体を水で冷やしたりしてあげたが、少女はこの直後に意識を失ってしまった。カメラマンのウトが少女を車に乗せて急いで一番近くの病院に向かった。病院に着いたウトは大声で助けを求めたが、看護師は「今はいっぱいだから他の病院いにってくれ」といわれた。そこでウトは「もしこの子が死んだらアンタの顔写真を明日の朝刊に載せる」と脅し、なんとか入院できた。ジャーナリストのウェインも様子を見に行ってみるが、少女は包帯でぐるぐる巻きにされベッドに寝かされているだけだった。そこでやけどの専門医がいる病院に少女を転院させようと役所に申請しに行ったが「なんであの子だけ特別扱いするんだ」と言った。そこでウェインは「あの子のやけどはあなた方ベトナム軍によって負わされた。ベトナムの印象を良くするためにも許可してくれ」と頼んだ。しかしそれでも結果はNOだったため隠していたナイフを取り出し「このナイフでいますぐあの子を楽にしてやってくれ。その方が彼女にとって苦しむよりはマシだから」と説得。その後、専門病院に転院できたキム・フックは14か月に及ぶ集中治療と苦しいリハビリに耐え抜いた彼女はどうにか生き抜くことができた。そして彼女はナパーム弾が落ちたあの日のことを今でも鮮明に覚えているという。数年後、フォトジャーナリストが彼女を取材したときの貴重な写真が残っている。心にも体にも大きな傷を負ったキム・フック。1972年当時、キム・フックの写真は”ナパーム弾の少女”として世界中に配信され、「危険な兵器が民間人にも多く使われている」ということがわかった。すると世界中で反戦ムードが一気に高まっていった。そしてついに1973年1月、アメリカと北ベトナムの間で和平協定が結ばれ、これによりアメリカ軍はベトナムから撤退、1975年にベトナム戦争は集結した。その後、キム・フックは大学受験を機にキューバに留学。そして数年後、その地で17年前に彼女の命を救ってくれたカメラマンのウトに再会した。
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ナパーム弾を受け、衣服がすべて焼け落ちてしまったキム・フック。彼女のこの写真はベトナム戦争の終わりを早めた1つのキッカケともいわれている。彼女はその後、辛い入院生活をなんとか乗り越え、大学受験を機にキューバに留学。そして数年後、17年前に彼女の命を救ってくれたカメラマン・ウトと感動の再会を果たす。キム・フックは「会えて本当に嬉しかった」と語る。キューバでもう1つ嬉しい出来事があった。最愛の夫と出会い、結婚。幸せな家庭を築くことができた。そしてベトナム戦争から約20年、彼女はワシントンD.C.で行われたベトナム戦争の戦没者異例式典に招待された。そして当時、ナパーム弾の空爆を命じた兵士から謝罪を受けた。現在、彼女は世界各地で反戦を訴える活動をしている。
梅澤さんは「一番ひどい目に遭うのは民間人。指導者たちがひん曲がっただけで弱い人達が苦しむっていうのはいい加減にしないと」、松村さんは「最後に(キム・フックさんが)『平和と許す心を学んでいます』って仰っていたのがすごく印象的で、自分もケガされているし、周りの方も犠牲になった方もいっぱいいると思うけど、ご本人がそれを言える勇気ってすごいと思う」などと話した。
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映画「ゴールデンカムイ」の告知。北海道を舞台に莫大なアイヌの埋蔵金をめぐる一攫千金サバイバルバトルエンターテインメント。山田さんはアイヌの少女を演じる。
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- ゴールデンカムイ
CMに入る直前、櫻井さんに強風が浴びせられ「まだあるんですね」と言った。
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