2025年11月15日放送 21:00 - 21:54 テレビ東京

出没!アド街ック天国
【秋葉原】30年でまるで違う街に大変貌!貴重映像を蔵出し

出演者
薬丸裕英 峰竜太 山田五郎 井ノ原快彦 中原みなみ 柏木由紀 伊集院光 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

アキバの30年 BEST10
「秋葉原」アド街30年分の貴重映像を蔵出し!

今からちょうど30年前、1995年11月22日の深夜、人々の生活をガラリと変えるエポックメーキングな出来事があった。それが「Windows95」の発売。その象徴的な舞台となったのが世界屈指の電気電子街「秋葉原」。番組アーカイブを掘り出してみると、かつての秋葉原の映像には今とはまるで違う街並みが映し出されていた。番組開始30周年特別企画として「アキバの30年」を振り返る。

10位 駅前再開発

現在はオフィスビルや高層マンションに囲まれている秋葉原駅。しかし30年前、が撮影していたのは駅前の大きな広場と広大な駐車場だった。現在のアキバのイメージとは違いスケボーやバスケをする若者たちでにぎわっていた。この場所に平成元年まであったのが「神田青果市場」。秋葉原駅の駅ビル「アトレ」の場所に30年前建っていたのはアキハバラデパート(通称アキデパ)。3階がJRの改札と直結しており、当時の改札はまだ駅員さんがいて切符も手切り。オレンジカードが使える券売機にも時代を感じる。現在のアトレも改札に直結しており、券売機はなくなりIC専用改札になっている。アトレ1階飲食店フロアも30年前は飲食店街だった。なかでも人気だったのがお好み焼やたこ焼の立ち食いの店「ダニエル」。鉄板をフルに使って焼き切り分ける四角いお好み焼は1枚300円。かつては全国に50店ほどあったが平成9年までにすべて閉店してしまった。しかし現在、ダニエルのお好み焼きが冷凍食品となりネット販売で復活している。そしてアキデパの名物といえば連日人だかりを作っていた実演販売。なかでも人気だったのがテレビでもおなじみだった川口隆史さん。通販が全盛の今、実演販売も「懐かしい光景」となった。

平成の秋葉原へタイムスリップ 「アキバの30年」BEST10

スタジオで秋葉原での思い出についてトーク。伊集院光は「小中学校の頃は自転車に乗ってカタログを貰いに行っていた。」とコメント。元AKB48の柏木由紀は「17年くらい通った。地元より地元。AKBでは秋葉原では遊ばないっていう決まりがあった。卒業するちょっと前からアトレの占いとかに行くようになった」。峰竜太は「我が家はずっと石丸電気。家を作るときも照明からもう電気とか、全部やってもらった。」薬丸裕英は「僕はオノデン派だった。」とCMソングを合唱した。山田五郎は地名の由来について「あそこもともと明治2年に神田相生町の大火っていう火事で丸焼けになった。そのあと明治政府があそこ火除け地を作った。そこに火よけの神である秋葉大権現を招いた。だから「あきばっぱら」と呼ばれてて、正しくは「あきばはら」なのだけど、今は「あきはばら」のほうが定着してる。」と説明した。

9位 ポップカルチャーの聖地

現在アキバを訪れるたくさんの外国人旅行客。彼らの目的はアニメや漫画、ゲームなど日本生まれのポップカルチャー。そのすべてが詰まった街秋葉原は「世界のAKIBA」となり注目されている。今から15年前、番組は外国人向けのツアーを取材した。ガイド役を務めた人物は自らを「ガイ悟空人」と名乗るアメリカ出身のパトリックさん。アニメと秋葉原を愛し当時来日6年目、東京大学で文化人類学も学ぶエリートで、現在は専修大学の准教授になっていた。研究テーマは「オタクサブカルチャー」。今でも秋葉原に通いオタクとアキバの文化を世界に伝えている。パトリックさんは現在のアキバについて「地名としてブランドになりつつある」とコメントした。

8位 アキバの名物グルメ

今、アキバを歩くとあちこちの飲食店で行列を発見。グルメな街のイメージもすっかり定着した。しかし番組が2004年に取材した映像を見ると夜8時の秋葉原は真っ暗。訪れる人々は秋葉原で食事をせず帰宅するのが定番だった。飲食店が乏しかった時代、オタクさんたちに注目されたのがチチブデンキの脇の自販機で売られていた「おでん缶」。買い物で忙しいマニアの皆さんにとって時間をかけずに食べられるおでん缶は貴重だった。販売元である愛知・名古屋市の天狗缶詰の伊藤堅一専務によると、2005年の「電車男ブームで月に6万缶売れた」と話していた。あれから20年、同じ場所へ行ってみると今もちゃんと売られていた。改良を重ねだしが更においしくなったと評判だ。

30年前この街では珍しかった行列店が「九州じゃんがら秋葉原本店」。秋葉原は「九州じゃんがら」の創業地だ。関東の人にも食べやすいあっさり豚骨が大ブームになり、当時店員の中川昇さんが熊本弁でアピールしていた。九州じゃんがら秋葉原本店はインバウンド需要で今も連日大行列となり、熊本弁の中川さんもまだまだ現役。てっきり九州男児と思っていたが東京生まれの生粋の江戸っ子だと言う。実は九州じゃんがらの経営母体は学習塾。当時下川社長は授業料の支払いが難しい子どもたちも受け入れていた。それでも塾の運営を続け先生たちの生活を守るために始めたのがラーメンだったという。中川さんは下川さんの教え子の一人で、兄と慕う社長の下熊本弁をマスターしたが、現在は英語もお手の物だ。

7位 交通博物館

現在JR神田万世橋ビルが立つ場所に30年前あった「交通博物館」がランクイン。館内には室蘭本線を走っていたSLやパノラマ模型などを展示。当時は「小鉄っちゃん」の聖地として知られていたが2006年に閉館。大宮の鉄道博物館がその後を引き継いだ。交通博物館から歴史を遡るとかつてこの場所にあったのはレンガ造りの駅舎が美しい万世橋駅。国鉄中央線のターミナル駅として昭和18年まで使われた。30年前、番組では残されていた万世橋駅のホームを撮影。更にかつての駅の構内も特別に撮らせていただいた。50年以上使われていないホームへ続く階段など、当時はホームへの出口は塞がれていた。現在は万世橋駅の遺構を生かした商業施設「マーチエキュート神田万世橋」に変貌。駅のバックヤードだった場所もアーチ状の入り口やレンガ造りの壁を残す形で再生され、誰でも見学できるようになった。あのホームへ続く階段も大切に保存されている。30年前塞がれていた階段の先は、いまは一般に開放され「プラチナフィッシュ」というレストランに。ガラス張りの店内から見えるのは中央線。運がよければ両サイドを上下線がすれ違うこともある。かつての万世橋駅のホームに立っており、交通博物館はなくなったがここは変わらず小鉄っちゃんの聖地となっている。

(告知)
テレ東系経済WEEK

「テレ東系経済WEEK」の告知。

アキバの30年 BEST10
6位 ゲーマー大集結!

中央通りに面したこの歩道に今から25年前の2000年、徹夜組が出るほどの大行列ができていた。この日はPlayStation2の発売日。DVDプレーヤーとしても使えたプレステ2は空前の大ヒット。家電の街だった秋葉原は同時にゲームの街でもあった。2005年の秋葉原のゲームセンターで人だかりを作っていたのは音楽ゲームの人気作「太鼓の達人」。音ゲーの達人は街のヒーローだった。あれから20年、アキバのゲームセンター「東京レジャーランド」へ行ってみると音ゲーフロアは今も大盛況だった。なかでも根強い人気なのが1997年に登場した『beatmania』。音ゲー人気に火をつけた名作で、上から降ってくるバーに合わせボタンとスクラッチを操作する。そんな『beatmania』のコーナーでそろいのユニフォームを着た人たちに遭遇。実は彼らはプロチーム「TEAM LEISURELAND」のメンバー。去年のプロリーグでは7チームによる激闘を制し優勝を果たしている。そのプレイはまさに神業!皆さん他に仕事を持ちつつプロのゲーマーとしても活躍している自らプレイ動画を投稿しドラフトで指名された猛者ばかり。チームのエースDONさんは韓国から来た助っ人外国人だ。

スタジオでゲームについてトーク。柏木由紀は地元で太鼓の達人を得意としていたがbeatmaniaの登場で一時期離れてしまった。しかしいまは月2~3回のペースで秋葉原に来てやっていると言う。また最近ではレトロゲームができる店も増えており、スペースインベーダーなどがプレーできるという話でかつてハマっていた頃の話で盛り上がった。

5位 肉の万世

10階建てのビル全フロアが肉料理のお店「肉の万世」ビルは通称肉ビルとして知られ「アド街」も何度も取材させていただいた。最上階はアキバを一望できる鉄板焼きのお店で、ビル内ではしごする常連もいたほどだった。しかし残念ながら去年3月いっぱいで閉館。万世の最後は大きな話題となった。現在肉ビルは解体され完全に消滅し、新たにホテルが建つ予定だそう。創業の地から「肉の万世」が消えてしまったが、アキバプレイスに新店舗がオープン。肉ビルの3階と4階にあった洋食レストランを引き継いだ。人気のメニューは「万世キングハンバーグ」。キングの名を冠したハンバーグで、伝統のデミグラスソースは変わらぬおいしさ。そして肉ビルの1階にあった万世橋酒場の名物でやみつきになる人を続出させたのが「排骨麺」。しかしこちらは万世ビル閉館とともに休止。それでもパーコーがのったナポリタンが新店舗で健在のため、万世のファンが歓喜してすすっている。

4位 メイドカフェ

2005年、アキバが大ブームとなった。その火付け役がドラマや映画にもなった『電車男』。アキバ系と呼ばれた男子の純愛と共にこの街から生まれた独自のカルチャー「メイドカフェ」も注目され日本中へ広まった。2001年にオープンした日本初のメイドカフェと言われるお店「キュアメイドカフェ」は今も中央通り沿いのビルの中で営業している。こちらのメイドさんはロングスカートのクラシックなスタイル。メイドさんが紅茶を注いでくれる以外は普通の喫茶店と変わらない。そんなメイドカフェを現在のイメージに近づけたのが2004年オープンの「あっとほぉーむカフェ」。当時の人気メイドhitomiさんの愛情たっぷりの接客に加え、この年オタクの隠語だった「萌え」という概念も一般化。新語流行語トップテンに「萌え〜」が選ばれ「あっとほぉーむカフェ」は全国に展開する超人気メイドカフェになった。当時の看板メイドだったhitomiさんは今もお店に立っており、2児の母となって子育ても頑張っているという。取材したこの日はバースデーイベントを開催。カフェ全体がイベント会場となりファンが押し寄せた。

アド街 出没タウンLINEUP

次回は伊東温泉。11月29日は新橋烏森口に出没予定。

3位 大型家電量販店

1995年ごろの秋葉原はパソコンショップが増加。新語・流行語トップテンにインターネットが選ばれた。インターネットは「社会を根底から変える力を持った怪物」と恐れられた。番組が取材したパソコンショップの中は段ボールに入ったパソコンが山積みされていた。当時の記録媒体はフロッピーディスク。最大容量は約1.4MBだった。中央通りにはたくさんの家電量販店が並んでいた。「ナカウラ」は最新家電をまとめて買うと安くなっていた。「サトームセン」、「石丸電気」などが並んでいたが、時代の流れで秋葉発祥の家電量販店は次々に消滅した。昭和26年創業の「オノデン」は今も元気に営業している。昔からのお客様も大切にしているため、VHSテープも置いている。MDも販売。オノデンの強みは経験と知識を持った社員が多いこと。一番長い人は勤続60年。

アキバ百景

秋葉原で撮影された映像を紹介した。伊集院は「ちょっと裏入ると急に静かなところがいくつかある」、柏木は「(AKB48劇場が)今年20周年でリニューアル。私が卒業してすぐ綺麗になった」などとコメントした。

配信情報

TVer、U-NEXTで配信中。

2位 アイドルの街

2010年に取材したライブステージの「秋葉原ディアステージ」はアイドルとファンの熱気でいっぱい。秋葉原でアイドルといえばAKB48。ドン・キホーテ8階の専用劇場から国民的アイドルに成長した。番組は2010年に取材していた。今もAKB48の活動の中心地である劇場は去年、リニューアル。柏木由紀は去年、劇場で卒業公演を行った。終演後、柏木は2階のバルコニーから集まったファンに思いを伝えた。柏木は「秋葉原の警察の方とか、街全体が協力してくださった」、井ノ原は「ドンジャラまで出してた。V6時代にAKBドンジャラをやった」などとコメントした。

1位 マニアックな専門店

2000年、番組は当時大ブームだった「海洋堂ホビーロビー東京」を取材した。精巧なフィギュアで知られ、チョコエッグが大ヒットし、年間約1億2000万個を売り上げた。子どものものだった食玩を大人も楽しむようになった。シークレットの存在がコレクターに火をつけた。シークレット欲しさに秋葉で箱買いする人が続出した。現在海洋堂でチョコエッグは販売していないが、精巧な動物フィギュアはカプセルトイで楽しめる。「WILD RUSH 真・世界動物誌IV」はチョコエッグ時代と同じ造形師が監修している。マニアックな街の期限は電子パーツショップ。「秋葉原ラジオセンター」は電子パーツや電子コードなどをバラ売りしている。今も顕在していて、「東邦無線」は極小パーツの専門店。「萬世書房」は小さな書店で電子関連書籍専門店。二代目・霜鳥さんは「12月で閉店する。私も90歳になっちゃう」などと述べた。ラジオセンターの2階にある「菊地無線電機」はラジオ部品専門店。今は生産されていないデッドストックもある。店主の菊地さんは96歳。昭和26年に秋葉原ラジオセンターが開業。70年変わることなくラジオ部品を売り続けている。

(エンディング)
次回予告

伊豆でのんびり「伊東温泉」。

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.