- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 剛力彩芽 ビートたけし リリー・フランキー 河井ゆずる(アインシュタイン) 本間日陽(NGT48) ゆうちゃみ
男性が後ろ向きに泳ぐノルウェーの映像。
生徒にせがまれてダンスを披露したダンス講師がスゴ技を連発するロシアの映像。
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- ロシア
100人以上の人が支え合って巨大な塔を作るスペインの伝統行事「カスティ」の映像。「カステイエレス・デ・ビラフランカ」というチームは2022年に3塔9段に成功した。
ボートで人口湖の浮島を移動させるアメリカの映像。
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- ウィスコンシン州(アメリカ)
日村が特技だという四つん這い走りをスタジオで披露した。
「R-1グランプリ2024」「ENGEIグランドスラムLIVE」番組宣伝。
坂上サンドの東北行きあたりばっ旅の番組宣伝。
アシカショーの輪投げで、男の子の投げた輪が弟の首にかかる映像。
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- アシカ
男の子が妹の頭をぶつけさせて泣かせてしまったが謝りたくなくて同じ場所に自分の頭をぶつけるアメリカの映像。
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- アメリカ
男の子がどの指を立てるか確認してから喜ぶイスラエルの映像。
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- イスラエル
1964年、広島の和洋菓子店に生まれた孝雅は祖父も父も菓子職人。2人は店で働く従業員とお客さんたちの笑顔を大切にしていた。店は孝雅の祖父によって和菓子店として広島で1933年に創業した。孝雅は大学3年のときに店にパン部門を作り2号店として開くことを提案した。神戸の名店で修行した孝雅は両親に開店の資金援助を頼んだが、実家に大金を出す余裕はなく断られた。銀行から借りようと税務署の協力で事業計画書を作成し、無事借りることができた。1991年に広島に「たかちゃんのぱん屋」をオープンした。
孝雅がオープンしたパン屋はあっという間に繁盛店になった。オープンから2年後にはチェーン展開を開始。仲間も集まり、父の和洋菓子店もパンの店に変え孝雅は社長に就任した。1年に1店舗のペースで新たに出店し売上は年間4億円を記録した。あるとき父に「店を増やしすぎじゃないか」「ちゃんと人を選んで店長にしているのか」言われた孝雅は「ここまで店を大きくしたのは俺だよ」「ちっちゃい店しか経営したことない親父にはわからない」と言い放った。その後たかちゃんのぱん屋は10店舗以上を誇るチェーンに成長。パンの本場である神戸への出店がかなった。すると出店の前日、前日まで夢を語り合っていた仲間がライバル店に転職した。数日後2人の店長も退職を申し出た。この頃大手コンビニが近くに進出し早朝営業のアドバンテージを失い、さらに周りにパン屋がいくつも誕生し業績は悪化。現場の負担や労働時間が増えてブラック化していた。孝雅は広島県中の店舗を1人で回ってパンを焼いていった。孝雅は車でガードレールにぶつかる自損事故を起こしたが病院にも行かずパンを焼き続けた。2億円もの借金ができ、このままでは店は半年もたない状況になっていた。そんなとき栃木県でベーカリーを営む弟から「2000万円なら貸せる」と電話があった。孝雅は申し出の半分である1000万円を借りることにした。銀行の融資も継続してもらえることになった。最初の融資は孝雅のパンの味や事業計画書が評価されたわけではなく、祖父と父が築き上げた信用があってこそのものだった。そして孝雅は広島の和菓子店の商品が全国的に大ヒットしていることを知った。
孝雅はシュークリームから着想し究極の口どけを持つクリームパンを開発し、創業当時の屋号をつけた。
孝雅はシュークリームから着想し究極の口どけを持つクリームパンを開発し、創業当時の屋号「八天堂」をつけた。八天堂は祖父の地元で親しまれたお堂の名前だった。世界恐慌で生活に苦しむ人をお菓子で明るく元気にして世界発展に寄与したいとの思いからつけられた。孝雅は店の名前も八天堂に変更した。開発したクリームパンは口どけ追求のため生クリームを多く配合し、焼いたあとクリームを入れることでふんわり感を維持させた。また冷蔵庫で冷やし一体感としっとり感を高め、材料をシンプルにして飽きずに食べられる味にした。東十条商店街、大宮駅、品川駅で売り出したあと大阪、名古屋、福岡駅構内でも購入可能に。全国のコンビニなどでも販売が開始され世界展開も果たした。2016年には体験型カフェ「八天堂カフェリエ」をオープンした。2023年には年商41億円を記録した。
2007年、アメリカ・ペンシルベニア州バックス郡の911に通報が入った。対応したオペレーターとの実際の音声を伝えた。廃車の部品販売会社「ピック・ユア・パート」と聞こえ、連絡を受けたパトカーと救急車が現場に向かった。通報者は車の下敷きになっていた。廃車の部品を選んでいる最中に車がバランスを崩して落下したものと思われた。パトカーが到着するも通報者は声を出せない危機的状況になっていた。
パトカーの警察官は、今からサイレンを鳴らすから大きく聞こえたら教えてほしいとオペレーターに指示。通話中の通報者の電話に音を拾わせようとするアイデアだった。無事男性は救出された。
正治さん和子さん夫婦が営む「本かしわ 鳥寿」で2022年6月に冷蔵のショーケースが壊れ、業者に依頼すると修理は不可能と判明。店を続けるには300万円の新品に買い替える必要があった。夫婦は閉業を考えたが、商店街のある白川エリアを活性化するため催しを支援する会社で働く高瀬さんは営業を続けるべきだと力説し、その場しのぎのつもりであるアイデアを提案した。
冷蔵ショーケースが壊れた鳥寿では現在、ショーケースに肉の写真に価格が書かれたパネルが貼られていた。事情を知ると客はいつもと同じように買い、売上も以前と変わらなかった。さらに電気代がかからなくなったことで経費が減少。さらに注文を受けたあと切り分けるため鮮度の高い鶏肉を提供できるようになった。そこには客との信頼関係という鳥寿ならではの理由があった。