- 出演者
- 設楽統(バナナマン) 小室瑛莉子 白鳥久美子(たんぽぽ) 朝比奈彩 高杉真宙
今回はキセキの爆誕SP。
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。次男として生まれたレジェンドは、幼少期子どもたちのヒーローになることを夢見ていた。目立たない少年時代で好きなものにはのめり込む性格。小学校からスキージャンプに打ち込み、オリンピックで金メダルを獲ることを夢見た。中2の時にCMで見たあるパフォーマンスに衝撃を受け、練習にのめり込んだ。パフォーマンスだけでは生活できなかったため、上京してスーパーに勤務した。上京から2年後に彼のパフォーマンスがアメリカで話題になった。レジェンドの正体はHIKAKINだった。HIKAKINが練習したパフォーマンスはヒューマンビートボックスで、あるパフォーマンス動画が2週間で200万回再生を突破し人生が変わった。その後は様々なチャレンジ動画で子どもたちの心を掴んでいった。HIKAKINは、母は何も否定しないでいてくれたと話した。
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。彼は甲子園常連校の野球部で、1年生の時からレギュラーを獲得した。父は戦後起業して家族を支えた。練習中のけがで野球が続けられなくなり、ケンカに明け暮れた。
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。彼はバンドを組み、ボーカルを担当した。芸能プロダクションでマネージャー兼作曲家をしていたのちの有名人に誘われ、1968年にバンドでデビューした。グループは1年半で解散したが、ソロデビューすることになった。
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。彼が出したレコードが売れなかったため、多くのCMソングを歌った。そんな中、のちの有名人と知り合いになり2人で即興ソングを歌って夜の繁華街で有名になった。1976年にTBSの「ハッスル銀座」に出演。トークコーナーのMCを務め、即興ソングを披露した。解散したバンドの元メンバーが新しくバンドを結成し、オリコン1位を獲得した。さらに見出してくれたマネージャー兼作曲家がバンドでデビューし、ブームを巻き起こした。レジェンドは歌唱力が密かな話題になっており、スペイン・マジョルカ島で行われる音楽祭に招かれた。グループサウンズ時代、CM時代に知り合った作曲家らとチームを結成。2日で作った曲で出場し、最優秀歌唱賞を受賞した。この歌をCMの世界に持ち込み、その後タイトルを変えてリリースすると60万枚以上の大ヒットを記録した(オリコン調べ)。
松崎しげるが愛のメモリーを披露した。
- キーワード
- 愛のメモリー
松崎しげるはミルクというバンドで活動した。解散後、新たにGAROというグループとしてデビューした。ナイトクラブで即興ソングを一緒に歌っていたのは西田敏行だった。
「STAR」「かまいまち」「ナゾトレMAXXX」の番組宣伝。
逃走中の番組宣伝。
松崎のマネージャー兼作曲家だったのは宇崎竜童。所ジョージの生みの親でもある。愛のメモリーは1978年第50回選抜高等学校野球大会の入場行進曲になった。愛のメモリーで日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、紅白にも出場した。
創業者のプロフィールから彼が作った店を予想する。父がギャンブルにのめり込み、母は家を出ていき極貧生活を送った。父は大好きなリンゴを年に1度買ってきてくれた。彼はそれだけでも父の愛情を感じていたという。
創業者のプロフィールから彼が作った店を予想する。高校入学のため戸籍謄本を取り寄せると養子だったことが判明したが、愛情は変わらなかった。高校卒業後は不動産仲介会社に就職し、トップクラスの営業成績だった。ゼロから建築を学ぶため大手住宅総合メーカーへ転職。事務員だった直美さんにプロポーズし、100万円貯めることを条件に出される。条件を達成し、24歳で直美さんと結婚した。不動産仲介会社を立ち上げ、彼自身もマイホームを手に入れた。父がステーキレストランのマネージャーをしていた直美さんの提案で飲食業を始めることになった。結婚から2年後に喫茶店バッカスをオープンした。2人は多くの人に笑顔を届けるためのアイデアを打ち出していく。自分専用のコーヒーカップを選び購入してキープが出来るマイカップサービスや客の好みに合わせたサービスなどを導入した。次にコーヒー専門店浮野亭をオープンし、ウインナーコーヒーがヒットした。
「STAR」「かまいまち」「ナゾトレMAXXX」の番組宣伝。
逃走中の番組宣伝。
創業者のプロフィールから彼が作った店を予想する。カレーハウス CoCo壱番屋を創業したのは宗次徳二さんだった。オープン当初調理の不手際があったり客を待たせたりしたことから、フライヤーや自動食洗機を購入した。客の好みに合わせてライスの量やカレーソースの種類、辛さ、トッピングなどを自由に選べるカスタマイズ制を導入。13年前に世界最大のカレー専門店チェーンとしてギネス世界記録に認定された。世界12の国と地域で1400店舗以上に広がっている。
カレーハウス CoCo壱番屋を創業した徳二さんは、3時間30分ほどかけて1000通のお客様アンケートを読んでいた。毎朝30分以上かけて有志の社員と本社周辺を掃除するボランティアを開始し、現在も続けられている。徳二さんは2002年に経営から退き、その後直美さんが継いで会長を努めた。徳二さんは引退した今も毎朝の掃除は欠かさない。2003年にはNPO法人を設立し、夢と目標を持ち一つのことに打ち込んでいる人への支援を行っている。街のホームレスには袋の中に千円札をしのばせておにぎりを渡している。
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。男四人兄弟の末っ子として生まれた彼は、すぐ飽きてしまい長続きしない性格だった。
- キーワード
- 東京大学
のちのレジェンドのプロフィールから誰かを予想する。彼は16歳の春に母を亡くした。残されたノートには東大に受かるところを見てみたいと記されていた。隣のページには小田和正「hello hello」の歌詞が書いてあった。その後東大に現役合格し、入学後にあるもののサークルでイベントを開催。イベントは学外からも参加希望者が殺到するほどの大成功となった。
- キーワード
- hello hello小田和正東京大学
STARの番組宣伝。
