- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木 太川陽介 三宅健
塙山キャバレーは茨城県日立市の繁華街から外れた一角にトタン張りの飲食店が14軒密集する。50年以上営業しているお店もあり、各お店のママを目当てに通うお客さんで賑わう。お店で飲んでる人の飲み代を払う代わりに家を見せてもらう企画で出会ったのは小又さん(61歳・男性)。この後スナックへ行くというのでついて行った。店の会計は既に済んでいたのでタクシー代をお支払い。推定距離は1.0km、料金は1,200円だった。スナックに立ち寄った後、家までついて行った。家はひとつの建物に2戸の別世帯が壁を介して隣り合っている二軒長屋だという。推定距離は2.1km、料金は2,300円だった。午後10時40分に帰宅。築70年の2DKで家賃は32,000円。晩酌したらコタツで値落ちしてしまうので寝室は使わない。コタツ布団とパンツはディズニーだった。テレビで何をみるか聞くと「水戸ケツ」と答えた。水戸黄門をこう呼んでいる。仕事の日は弁当を作って持参するとのことで、キッチンと冷蔵庫は整頓されていた。高菜は辛口と甘口の2種類があった。パチンコで堅く行きたい時は辛口、仕事で怒られたくない時は甘口を食べる。甘口の方が減っていた。キッチンの隣にあるお風呂は懐かしのバランス釜。洗濯機は母の友人にもらった二層式。壁には中学の時に描いて賞をもらった絵が貼ってあった。中学時代のアルバムを見せてもらうと「いい男」と書いてあった。3学年で2,000人いる茨城県で一番のマンモス校だった。中学2年の時は応援団長を務め、学校で1番モテたという。バレンタインのチョコも15個もらい、違う中学校の女子からもらったラブレターを今も保存していた。文面は年賀状のようだったが、ラブレターと言い張った。32~33歳の時の写真を見せてもらうと、いかつい感じだった。青春時代はモテモテで100人以上と付き合ったが、結婚はしなかった。独り身の寂しさを語った。理想のタイプを聞くと森高千里と答え、スナック「Very」のママに惚れていると語った。塙山キャバレーで小又さんの家について行ったら…過去の自分を反省しながらスナックを楽しむ61歳の話が聞けました。
東京都江戸川区の平井親和会商店街は90年を超える歴史を持つ江戸川区最古の商店街。買い物代をお支払いする代わりに家を見せていただく企画で出会ったのは石井さん(82歳・女性)。買い物代ではなくタクシー代をお支払い。推定距離1.5km、料金は1,000円だった。午後4時40分に帰宅。築45年の2DKで家賃は21,000円。タンスや冷蔵庫の中を見せてもらった。冷凍庫には氷が冷えていた。花は水ではなく氷で育てている。二枚目より大泉洋みたいな面白い男が良いと語った。独身だが彼氏がいるという女性ディレクターに「やたらに抱かれちゃダメ。結婚までは守るべし」と語った。夫・とおるさんは去年9月13日に糖尿病で亡くなった。享年84。個人タクシーを40年やり、2度と現れないような良い人だったという。会話はできたので入院はせず家で看取った。最期の言葉は「ありがとう」だった。息子と娘がいて、孫が3人、ひ孫が2人いる。平井親和会商店街で石井さんの家について行ったら…夫との幸せな思い出を糧に生きる女性の恋愛哲学が聞けました。
東武宇都宮駅前で出会ったのは食事帰りの女性4人組。タクシー代を支払う代わりに妃翠さん(17歳)の家までついて行った。高校3年生で来年から都内の美容専門学校に通う。推定距離5.6km、料金は2,630円だった。築10年の持ち家で間取りは4LDK。5人きょうだいの大家族だった。うんていやブランコなど部屋中に遊び道具があった。冷蔵庫の中はぎっしり。44歳に見えない父の主食はサラダだという。大量のアルバムがあり、全てにタイトルがついていた。父は美容師で3店舗の美容室を経営。妃翠さんが美容師を目指すのも父が美容師で身近だったの大きいという。5人の子宝に恵まれて幸せだが、3人くらいの時はお金がなくて苦労し、実家からお米や野菜をもらったという。妃翠さんがいつも賑やかだった家族と一緒に過ごせるのも残り3カ月となった。
取材から5年後、再び中村さん一家を訪ねた。妃翠さんは専門学校を卒業し、銀座の美容室でアシスタントとして働いている。長男・次女も上京し、妃翠さんと3人で同居しているという。父・晋一郎さんは心配だが仕事の話ができないというので、スタッフと一緒に銀座にある美容室を訪ねることになった。先にスタッフだけで訪ねると、閉店後も居残り練習していた。出社は朝8時50分、夜は終電がある限界までやる。ハサミだけで切るショートヘアに苦労し、スタイリストになるには1年半はかかりそうだという。
5年前に家までついて行った妃翠さんを再び取材。専門学校を卒業し、銀座の美容室でアシスタントとして働いている。娘を心配する父・晋一郎さんが宇都宮から上京。自分を練習台にして娘にアドバイスを送った。娘に髪を切ってもらうのは初めて。晋一郎さんもアシスタント時代は同じように苦しんだと語った。今まで仕事の話をしなかったのは娘の辛さを誰よりも理解していたから。まだまだ先は長いので採点は50点だった。5年ぶりに中村さんの家を再訪したら…美容師親子の仕事で繋がる絆が見られました。
東京都練馬区の川場湯は創業67年の銭湯。露天風呂をはじめ4種類の湯船を設置。銭湯で回数券を差し上げる代わりに家を見せてもらう企画で出会ったのは角田さん(76歳・男性)。歩いて家までついて行った。帰宅途中にサミットに立ち寄って夕食を購入した。仕事は人工透析病院のドライバー。患者の送迎をして10年。それ以前は石油関係の商社マンだった。25歳で結婚して娘が2人。現在は一人暮らし。自宅には畑があり、ピーマンやナスが実っていた。午後6時40分に帰宅。築40年の持ち家で間取りは4K、価格は1,300万円。冷蔵庫の中を見せてもらうと、奄美大島へ行った友人からもらった「パイナップルの醤油漬け」が冷えていた。試食させてもらった取材スタッフは「パイナップルの味が一切しない」と感想を語った。後で調べたら、パパイヤだった。扉のガラスには孫が描いた絵が貼ってあった。カレンダーには「山」と書いてあった。月1で登山していて、日本百名山は90くらい制覇したという。妻・あやこさんは7年前に肺がんで亡くなった。享年65。
人生の絶頂期を質問された太川陽介は「これからだね。本当の幸せって分からないから」と答えた。バス旅は終わった後のビールが楽しみだという。
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- ローカル路線バス乗り継ぎの旅
太川陽介が「テレ東系 旅の日 ~充電旅&バス乗り継ぎ旅で7時間SP~」を告知した。
東京都練馬区の銭湯「川場湯」で出会った角田さん(76歳・男性)の家までついて行った。妻・あやこさんは7年前に肺がんで亡くなった。2階の洋間に仏壇があり、一緒に登山した写真が飾ってあった。妻が友達に誘われて山登りを始め、角田さんもハマった。山を登る時はキツイのでケンカが絶えなかったが、山頂に着くと絶景を見てケロッと忘れてしまったという。妻は50歳ぐらいで乳がんを患い、手術して完治したが、約10年後に肺に腫瘍が見つかり、余命2年を宣告された。
「有吉ぃぃeeeee!」の番組宣伝。
三宅健が奏劇vol.4「ミュージック・ダイアリー」を告知した。よみうり大手町ホールで6月20~29日に公演。
東京都練馬区の銭湯「川場湯」で出会った角田さん(76歳・男性)の家までついて行った。妻・あやこさんは7年前に肺がんで亡くなった。余命2年と宣告された後の帰路では何も言葉がなかったと振り返った。2人で最期に登ったのは日和田山。妻が亡くなる3ヵ月前だった。完登できなかったが、山に行けただけで嬉しかったという。妻が山に行くときに持参していたハンカチを見せてくれた。現在は角田さんが持って登山している。山という生きがいを残してくれた妻への感謝を語った。妻と一緒に行く予定だったキリマンジャロに孫を連れて行きたいという。川場湯で角田さんの家について行ったら…亡き妻が残してくれた生きがいと思い出で溢れる写真を見せて頂けました。