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オープニング映像。
2024年3月に延伸開業したばかりの北陸新幹線。北陸新幹線・金沢駅のホームの柱には伝統の特産品の金沢箔がさり気なく使用される。ホームを降りると、トイレの入口には加賀友禅があり、待合室には百工の間と呼ばれ、石川県の工芸品が展示される。金沢駅東広場は2005年三月に完成した駅前の広場。その総面積は東京ドームのおよそ半分ほどで金沢駅から三味線のバチのような形のガラスドームがなだらかな曲線を描きながら正面門へと伸びていく。鼓門の高さは13.7mで、二本の柱が幅24mの巨大な屋根を支えている。ユニークなのは、金沢の伝統芸能である能の鼓をイメージしたという柱の造形。鼓門をくぐると壮大なガラスの天井があり、もてなしドームと呼ばれている。最も高い所はおよそ30mで、天井と壁面をあわせると3019枚の強化ガラスが使用される。軽やかな印象を与えるのは銀色の構造材がレースのように精緻に組み上げられているからだという。金沢は県庁所在地の中で,1,2 を争うほど雨が多く、雪もつもる。
1986年当時の金沢駅。その駅前を管轄する金沢市には新しい広場の建設計画に着手したのは1992年のこと。白羽の矢がたったのは当時最年少で日本建築学会賞作品賞を受賞した白江龍三氏。この時金沢市からの要望は駅の機能の確保、徹底したバリアフリー、金沢らしさだったという。金沢は加賀藩前田家の城下町で、江戸時代より工芸品の生産や、能などの芸能が盛んで独自の文化を育んできた。その400年の歴史をもつ金沢市らしさを求められたが白江氏は、次の400年のために400年残る建築を作ろうと提案したという。いくつものアイディアを考え、膨大な条件をクリアした結果全面ガラス張りの建築に。最先端の技術を使い鉄よりも長持ちする美しいアルミ合金を使用したドームになった。広場を流れる水の使い方では、市内を流れる用水から引き上げている。金沢は、用水の街で市内の中心には代表的なもので三本の用水が巡っている。その一つが辰巳用水。兼六園の池にも使用され、金沢駅東広場にも流れていくという。水の動きは能や雅楽で使用される序破急のリズムがいかされている。
当初広場の設計案にはなかったものは鼓門。金沢工業大学の水野さんは広場の設計最中に市民に駅には木造や黒い瓦があるといいとの意見があったという。白江さんはその意見を聞いて、技術美というコンセプトでデザインしていたがなんとか市民の声を受け止め金沢の人々が親しんできた能の鼓をデザインに取り入れた。純和風の格天井だが柱の構造では斜めに傾けた12本の柱を楕円状に配置しその内部に12本の柱を配置するという独特な構造になっているが揺れた際にはどこかの柱が耐える構造になっているというが、鼓門には、ガラスドームから流れていくる雨水を再利用するために地下に送る貯水槽に送るための管が通っている。地下広場の換気口も備わり加賀の伝統文化と新しいシンボルに。
城下町の金沢は金沢城を中心に街が作られている。今も武家屋敷の姿を残す長町だが近江町市場は商人の街。城下に広がっていた小さな市を前田藩が一箇所にまとめたことから生まれた。江戸の風情をのこしているがには大きな問題に、細く入り組んだ城下町だが現代の車社会に対応しようとすると道路を拡張しなければいけない。すると美しい街並みに多大なダメージを与えてしまう。そこで新しい都心を生み出すという案がでた。その新しい都心としての覚悟が金沢駅東広場。金沢駅を中心に駅型手前は旧市街地、その向こうは新しい市街地になりそこに県庁も移転し、副都心となった。金沢駅東広場について建築家がみてほしい場所はエスカレーターの造形。ゆったりとゆるやかにエスカレーターと階段が踊り場を含めゆったりと設計されている。
金沢駅東広場の地下には広大な光景が広がっているが、地下の空気を入れかえるために作られたのは美しい庭園。名物の雪つりが施されていて、目立たない所にも金沢らしさがある。
新美の巨人たちの次回予告。
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