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オープニング映像。
高知県の香南市赤岡町では毎年7月第3土日に開催しているのは土佐赤岡絵金祭り。地元の美術館に保管されている絵金の作品が軒先に並ぶ。絵金はこの街で暮らし、多くの作品を描いた。揺れる炎に浮かび上がるおどろおどろしい一幕。現在東京では、半世紀ぶりとなる、絵金の展覧会が開催。今回歌舞伎俳優の尾上右近が展覧会にやってきた。会場に一歩入ると、眼の前に伊達競阿国戯場 累が。江戸時代末期に描かれたとされる屏風絵。
伊達競阿国戯場 累は先代伊達家の跡取りを巡るお家騒動のクライマックス場面。実の姉の怨霊に取り憑かれ、醜い姿に変わり果てた累が夫の首根っこを掴んでいる。凄まじい形相で噛みついている相手は主君の娘。夫との仲を疑い嫉妬し無惨にも夫に殺されてしまうが激しい嫉妬と怨念を描いた。その絵の特徴は異時同図法という、異なる時間に起きた出来事を同じ画面に描く手法が使用され、その後ろには累の兄が死んだ累と姉と弔う旅に出る様子が描かれる。こうして芝居絵に新たな作風を持ち込んだ。さらに尾上右近が目を留めたのは、伽羅先代萩 御殿。伊達家の乳母が毒入りの菓子を食べようとする若君を助けようとする場面。身代わりに入った乳母の子が衝立から飛び出し身代わりに食べて死んでしまう。もはや着物がドクロになった栄御前と悪児を巡らす2人の女が特徴。毒入りの菓子を食べるのか食べないのか、物語の一番大切な瞬間に視線を誘導している。
絵金は元々狩野派だった。狩野派は、室町時代に誕生し、江戸時代には将軍家の御用絵師として絶大な力をもった絵師集団。絵師金蔵は高知城下で谷結の子として生まれた。幼い頃から画才を発揮し、18歳で江戸に出て狩野派で修行していた。鷲図は躍動感にあふれる見事な筆致。故郷に帰り、町人から御用絵師という入りの出世をした。しかし33歳で人生が暗転したが突然の身分剥奪で城下追放に。狩野探幽の贋作事件に巻き込まれた説が有力だという。放浪のはてに絵金は町絵師として再起をかけた。身分を剥奪された後に、描いたとされる絵が土佐神社に。現存する絵金の作品では最も古いという。絵金は商人らから依頼されてあらゆる絵を描いた。芝居絵は赤岡にたどり着いた頃に、土地の豪商に頼まれて描いたのが発端とも言われている。そこには激し描写とニヤリとさせるブラックユーモアが。
赤岡町から半世紀ぶりにやっていた絵金の作品。絵馬代と言われる櫓に芝居絵をのせて展示している。播州皿屋敷 鉄山下屋敷は、濡れ衣を着せられて絞め殺された女中のお菊が幽霊となって井戸で皿を数える有名な物語。お菊をいたぶる男は邪な気持ちを抱いていた。絵金はそれを黒いユーモアで表現。残酷な描写で目を奪いながらニヤリとさせる。絵金は毒と笑いを織り交ぜて客の心を織り交ぜる天才だった。絵金祭りでは赤岡町の道沿いにこの芝居絵が並べらえるが、ろうそくもたてられ、力強い色彩はろうそくの炎などで鑑賞するのを想定しているという。それに加え意外な技法に、髪の毛の描き方、貝殻を砕いて使う胡粉と墨を混ぜて薄い墨色の上に髪を1本1本描いていく光を当てると、胡粉を混ぜた墨は光沢が減り薄い部分との艶との違いで質感が出る。さらに表情を引き立たせる目には、にかわを使用し、黒目の真ん中を塗る。すると、にかわ独特の光沢で瞳が爛々と輝く。ろうそくのゆらめきに反応している。刺激的で見るものを高揚させるエンタテインメント性。
浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森は絵金の代表作。江戸郊外の処刑場を舞台に、白井権八と幡随院長兵衛が出会う場面。絵に描かれた者たちは岩井半四郎と市川團十郎で、いずれも当代切手の歌舞伎役者がモデル。南国土佐にいながら、江戸や大阪でしか見られなかった舞台を絵金は描かていた。長年研究している横田恵さんは、赤岡は港町として栄え大阪に頻繁に産物を運んでいた。絵金はその船にのって大阪に訪れていた可能性があるという。絵金の描いた忠臣蔵が討ち入り後を描いている討ち入りに感動した子供が切腹したいと答えている場面。歌舞伎に精通しているからこそ描くことのできた素材。赤岡町では絵金の描いた絵馬ちょうちんんなど膨大な数の作品を土佐に残した。
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