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オープニング映像。
緒形直人奈良県室生へ。太鼓橋を渡りきった先に今日の作品の室生寺が。急峻な地形に建てられた山林寺院。標高500m、室生山の三徳にいくつもの伽藍が点在している。その別名を女人高野。
室生寺の始まりはおよそ1200年前で奈良時代の宝亀年間。桓武天皇の勅命を受けて興福寺の僧の賢きょうが、国家鎮護の寺として創建したと云われている。女人高野と呼ばれる理由には、室生寺の南西に明治に入るまで高野山は女人禁制だった。それに対し室生寺は女性の立ち入りを許可した。か弱き声を聞いて救ってきたことから女人高野と呼ばれるように。その門には朱色がはえる仁王門が出迎える。
室生寺の境内は上へと続き、伽藍をつなぐのは石段で、自然石を積み上げた様子が鎧の草摺を思わせることから、鎧坂と呼ばれている。登ったさきには仏像を安置する金堂があり、国宝。
金堂は正面五間、側面五間の単相寄棟造。平安時代初期の山寺の仏堂としては国内唯一の建築。正面の床は長い張り出しを柱で支えた懸け造り。箱崎和久さんは建物自体はそこまで大きくはないが、自然と調和させる部分が美しいと語った。屋根を支える木組みの質素な造りはシンプルで、建物そのものよりは機能を重視しているという。
金堂には国宝の釈迦如来立像があり、1本の榧から彫り出された平安時代を代表する端正な像。肩から足元へ、流れるような衣紋。室生寺様と呼ばれる彫りの技。衣紋線には截金が施され彫りの線が強調されている。その両隣には重要文化財の文殊菩薩立像と薬師如来立像がある。
十二神将は眉をひそめて言いたげなものや楽しそうに上に見上げるものなどがある。しかし6体しか現在無いという。室生寺では文化財を永く後世に伝えるために仏像を寶物殿におさめている。
寶物殿には国宝十一観音菩薩立像があり、かつては金堂に安置されていたが頭部にのせた11の顔は、人の苦しみを見つけ救うため。ふくよかな唇に残る朱の艶やか。釈迦如来坐像は彫りが見事で翻波式と呼ばれる衣紋は大小の波が交互に繰り返され、心地よいリズムを奏でている。十二神将の残りの6体も間近で見ることができる。こうしてキレイに残っているのは廃仏毀釈の影響を当時受けなかったためだという。
写真家の土門拳は鬼と呼ばれた。目指したのは絶対非演出。リアリズムを突き詰めた先にこそ真実があるという。多くの古寺を巡った土門だが、最も愛したのは室生寺。初めて室生寺を訪れたことを土門拳は感動を覚えたという。日本人の精神の源流にたちむかうようにその美意識に挑んだ。十二神将には親しみを込めてニックネームをつけたという。
室生寺の本堂の潅頂堂は仏教建築の傑作。正面五間、側面五間の入母屋造。木立の隙間で翼を広げたような軒の反りが美しい。本尊は如意輪観音菩薩像。腕が6本あり、右膝を建てて体を傾けた姿は穏やかさと慈しみの形。そして室生寺巡りのクライマックスへ。
女人高野・室生には五重塔がある。平安時代初期に建立され、山中で最古の建物。高さ16mで、屋外にたつ五重塔では、日本最小。興福寺の五重塔に比べて3分の1しかない。箱崎さんは、しかし小さく見えない理由に、窄まりが大きくなく、下から見上げながらみているのでそうは感じず立地を考えながら作られているという。檜皮葺きの屋根は周囲と調和しどこか奥ゆかしく、複雑な木組みも白壁と響き合うような優しさ。
太鼓橋のたもとに明治から続く橋本屋があるが、土門拳が定宿にしていたという。昭和21年の初夏、土門は、当時の住職に室生寺が一番美しのはいつかと問いかけた。住職は冬と答え、雪の室生寺と撮ることが悲願に。しかしその思いを果たせぬまま病に倒れた。
土門拳は冬の室生寺を撮影したいと願いをもっていたが病に倒れた。しかしその執念で橋本屋で雪を待つこと数日、諦めて帰ろうとした日に雪が降った。
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