2025年10月18日放送 22:15 - 22:45 テレビ東京

新美の巨人たち
【「永平寺」×井森美幸】

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(オープニング)
今回は…
オープニング

オープニング映像。

新美の巨人たち
「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 豪華!日本画家たちの絵天井

井森美幸がやってきたのは永平寺。参拝者向けに見学ルートが整備され、主要な建物を見て回れるようになっている。入ってすぐの傘松閣へ。ここに意外な部屋が。156敷の絵天井の間は、昭和初期の著名な日本画家144人が描いた230枚の花鳥画が、天井を埋め尽くしている。その中には川合玉堂、川合玉堂、伊東深水といった、日本画壇のビッグネームが。

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伊東深水山元春挙川合玉堂永平寺門前町(石川)

永平寺の君島真実さんは永平寺は伽藍は色々な役割を果たした人の供養の際に増築するが、2代目の650回忌の際に建てられたという。絵天井の間は修行の部屋ではなく参拝者へのおもてなしとして作られた部屋。

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永平寺
「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 建築・彫刻・仏像 どこをみても文化財

絵天井の間を抜けると永平寺の核心部へ。仏殿にやってきたが、明治35年の改築で、ここには現在過去、未来を表す三善如来が鎮座している。釈迦如来坐像は鎌倉時代の作。さらに、目を見張るのは欄間の彫刻は二祖となる人物が自らの左肘を切り落とす場面が描かれる。この仏殿の隣に建つのが僧堂。修行僧が坐禅をしたり、食事をしたりする場所。内堂は起きて半畳、寝て1畳。これが修行僧1人に与えられるスペース。外堂では食事を行う。永平寺では今も100人の修行僧が細かい所作に従い生活している。その上にあるのは廻廊。永平寺の主な建物はこの廻廊でつながっている。廻廊をさらに上がった先には法堂があり壮大な空間で、江戸時代末期の建物。須弥壇の中央には、完全音菩薩坐像が。天井からは八葉蓮華鏡が吊るされ、中国宋代の形式を守っている。

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宋(中国)早瀬長兵衛永平寺
「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 なぜ道元は福井にやってきた?

鎌倉時代の1200年に京都で貴族の家に生まれた道元。幼くして両親を亡くし14歳の時出家して仏門へ。24歳の時に宋にわたり如浄禅師に出会い師と仰いだ。帰国すると28歳の道元は書を書き上げ、国宝の普勧坐禅儀は、真の坐禅をこういうものだなどと書かれているという。しかしこれがきっかけで、道元は他の宗派の反感を買ってしまった。34歳で京都深草で興聖寺を開くが、このお寺は比叡山保守派の衆徒から焼けうちにあったとされる。しかし道元を援助していた武将の波多野義重が道元に福井の領地を寄進したのが永平寺のはじまり。

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「永平寺」巨大伽藍 悲劇の歴史 なぜ道元の時代の建物がないのか?

1244年の開山から70年。今日に至るまでこの伽藍は度重なる悲劇に見舞われてきた。井森は山門の二階へあがったが五百羅漢と十六羅漢が。これらの像は鎌倉時代のものとされているが、詳しい調査は今後に行われるという。この山門が永平寺使用伽藍の中で最も古い江戸中期の建物。永平寺には道元が行きた鎌倉時代のものは書や仏像では残っているが建物は一つとして残っていない。その理由には何回も火災にあっているという。張り巡らされた廻廊は一度火の手があがると煙突の役目を果たし火の海にかえてしまう。そのために何回も再建されていると答えた。永平寺は曹洞宗の聖地で全国から修行僧が集まり、道元の時代と同じように修行の日々を送っている。そうした歴史を永遠と続けてきた。

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「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 大工の技と遊び心!重文「山門」

永平寺では近年新たな発見があった。山門の二階について京都工芸繊維大学の日向進さんは、屋根を支える、組物の一部のこぶし花には彫刻が。その図柄がすべて異なっていると調査によってわかった。これほど凝った禅宗寺院の山門は全国的にも珍しいという。伊勢海老の裏には点滴のタコが彫られている。手すりには握蓮というがそこのデザインも一つ一つ違う。ここには山門を手掛けた大工による技と遊び心が詰まっていた。こうした永平寺の伽藍を手掛ける大工集団がいる。

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「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 謎の職人集団“永平寺大工”とは一体?

永平寺を手掛けた謎の集団永平寺大工とは?

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“日本一複雑な屋根を持つ神社”も建築 謎の職人集団“永平寺大工”とは一体?

福井県に複雑な屋根を持つ神社岡太神社・大瀧神社がある。折り重なるように屋根が続いており、江戸時代後期に、設計・施工を任された大工が当初の設計図面を変更してまで複雑に作り上げたことがわかっている。近づいてみれば細かい彫刻の数々が目を楽しませる。その永平寺の大工は大久保勘左衛門。永平寺大工と呼ばれる大工集団の一員だった。道元は宋から腕利きの大工を招き、その名を玄源左衛門。永平寺門前に住み、大工村を形成したという。大工村の永平寺大工たちが再建・改修・増改築に尽力したという。江戸末期に23代目の玄源左衛門が建設した旧木下家住宅がある。弧を描く梁と豊かな空間が広がるが、こうした住宅や寺などを手掛け、技術を継承していった。今の大工村には元大工がいて、代々大工の家系だったとい人も多い。

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「永平寺」巨大伽藍 美の秘密 “坐禅”修行の意味とは?

永平寺には一般参拝者が坐禅体験できる全堂が。入り方、畳のあがり方、呼吸の仕方など、その所作も細かく決まっているという。

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道元の教えは只管打坐。目的を持たずにただ座る。やり続ければ仏様になり悟りになるという。

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(エンディング)
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