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オープニング映像。
嵐電の新型車両のKYOTRAMは、中も今までとは違う内装。アーチ型の天井に反射した照明の光が車内を照らし、網棚はなく開放感たっぷり。路面電車のイメージを大きく変えるこの車両は、沿線にあるいくつもの名所に誕生の秘密が隠されている。嵐電での歴史は古く、四条大宮から嵐山本線は1910年に誕生したが、そこに連結する北野線は1926年に開通した。松井が乗った線路はわずか全線11分。1つ目の駅の名前の等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅は室町幕府の初代将軍の足利尊氏が創建した足利家の等持院がある。次に龍安寺駅には世界遺産の龍安寺は名高い枯山水の石庭で知られている。嵐電の車体を染める紫の色の理由は、沿線のある寺に秘められている。
御室仁和寺駅に到着した松井。駅舎は大正12年に誕生し、開業当時の雰囲気も今に伝えている。駅から歩いて3分ほどに真言宗御室派の総本山の仁和寺がある。高さ19.2mの重要文化財の二王門。江戸時代初期に作られた金剛力士立像がある。さらに国の名勝となっている御室桜は200本あるが、高さは2mほど。仁和寺の建立は、888年で平安時代に誕生した。寺を開いた宇多天皇は、その後仁和寺で出家し鳳凰に。以来、幕末まで代々の住職を皇族が務めてきた。金堂はかつて京都御所にあったもので、江戸時代の御所の建て替えの際に仁和寺が譲り受けた。建物全部が国宝で普段は非公開。その中は金色の輝きに満ちた空間が広がっている。中央に安置されているのは、本尊阿弥陀三尊像でその両脇には壮麗な仏像が配置される。京都御所にあった時紫宸殿と呼ばれていたが、天皇による国の大事な行事が行われていた。令和の幕開けに皇居で開かれた即位礼正殿の儀。昭和までは、京都御所の紫宸殿で行われていた。その時張られた幕の色は共紫。高貴な歴史を今に受け継ぐ仁和寺は、沿線を走る嵐電の京紫はそうした伝統を受け継いだもの。
嵐電の新型車両のKYOTRAMについてデザインしたGKデザイン総研広島の鈴木さんは乗り物のデザインを手がけてきたスペシャリスト。新型車両を依頼された鈴木さんは、沿線を歩き回ってヒントを探していた。目にしたのは悠久の歴史を刻む古都の通りを走る嵐電。一方で令和の街並みを車やバスに走って走る嵐電。今と昔の街に馴染むデザインはないものかと考えた。嵐電は長年箱型のイメージだったが、昭和初期には丸みを帯びた形だった。鈴木さんはそれをヒントに一工夫を加えた。KYOTRAMは正面の曲線に特徴があり一つの円だけで設計すると、無粋なカーブになるが、鈴木さんは3つの円を組み合わせて洗練された曲線を生み出した。車内にもたおやかな直線があり外観との統一感を意識した、木目調の丸天井。車体の京紫を白でサンドイッチすることで、モダンな雰囲気も表現している。
嵐電で帷子ノ辻駅に到着した。嵐山に向かう前に駅中へ。駅ビルには駄菓子屋の映菓座があり、昭和時代のお茶の間も再現されている。その理由は映画と街が密接しているため。昭和レトロな駅は太秦にある松竹撮影所の美術スタッフが作り上げたもの。帷子ノ辻駅から伸びる大映通り商店街は、大映映画のヒット作の「大魔神」の像が。嵐電の北野線が開通した1926年には銀幕のスターの阪東妻三郎が最初に沿線に太秦撮影所を作った。この地域に数多く建つ神社仏閣は当時主流だった時代劇の撮影場所にぴったりだった。更に周辺には様々な伝統技術の職人が沢山いて、映画の小道具作りにも困らなかった。その後大手映画会社の撮影場所が次々に誕生し、映画関係者のために店が生まれ、その賑わいを求めて住人が集い、街が出来上がった。
古くから店を構える京漬物の店京つけもの もりは旬の野菜を上品な薄味でつけている。当時の嵐電は通勤する人がすし詰め状態だったという。KYOTRAMの窓枠は黒縁になっている。そこから見える風景は映画のスクリーンのよう。手すりが内側によっているが、通路の幅を広げ乗り降りがしやすいように工夫されている。またシートは体が馴染むようなデザインに。
新美の巨人たちの次回予告。
「スポーツ リアライブ~SPORTS Real&Live~」の番組宣伝。
