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フランス王妃マリー・アントワネット。18歳で王妃となりきらびやかな宮廷生活を過ごした。彼女が好んだ華麗なドレスを誰もが欲しがり、奇抜な髪型は海外にも広まった。当時の欧州におけるインフルエンサー的存在。贅沢な暮らしは国民の憎しみを集め、断頭台で処刑され33歳で生涯を終えている。
オープニング映像。
横浜みなとみらいで行われているマリー・アントワネットの展覧会。絵画「コートドレスのマリー・アントワネット」で着用しているコートドレスは宮廷の公式行事で着用する格式高いドレスのこと。当時17歳、フランス王太子妃時代。衣裳はお花がモチーフ。胸元には薔薇の刺繍。肩には金や銀の糸。首元にはリボン型のジュエリー。
1755年、オーストリアの名家に生まれたマリー・アントワネット。少女時代から愛嬌があり、人を引きつける魅力に溢れていたとされる。1769年、13歳のアントワネットに縁談が持ち込まれる。相手は当時敵対していたフランスの王太子。他国の台頭を前に両国は歴史的な同盟を結び、アントワネットも14歳で政略結婚させられる。結婚に際し、母親から「フランスのしきたりに反するな」「フランス国民に気に入ってもらえ」と厳しく言いつけられる。先代の死去で夫が王になり、アントワネットは18歳で王妃に。
横浜みなとみらいで行われているマリー・アントワネットの展覧会。展示されている「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」は18世紀フランス宮廷の正装。スカートの下に大きな骨組みが入っている。体のラインを見せず動きを抑えて優雅に振る舞うことが高貴とされていた。アントワネットが好んだのはパニエなしの英国風ドレス。スカートの布を集めてお尻の膨らみを表現。デザインは花がら。スカートの布をたくし上げたポーランド風も好み、足元を見せることで靴選びにも凝るようになった。こうしたファッションはモード誌を通じて欧州中に広まった。
横浜みなとみらいで行われているマリー・アントワネットの展覧会。展示されているのはマリー・アントワネットの風刺画。髪の部分が異常に大きく描かれている。アントワネットはこの髪型を気に入り、たちまち宮廷で大流行。
マリー・アントワネットは結婚から9年目、ついに子どもが生まれる。王位継承の正当性を示すため、多くの宮廷人が出産を見守った。3年後には待望の王子も生まれ、生涯で4人の子供に恵まれた。当時の王族として異例ながら育児に積極的に関わり、王妃ではなく1人の母として子どもたちに向き合った。乳製品を積極的に摂取させ、ヴェルサイユ宮殿の一画に農村を作らせ牛などを飼育した。食器は王立セーヴル磁器製作所に作らせた。当時使っていた椅子はパステルカラーに花柄。王妃として初めて個人名入りのモノグラムを使用。
マリー・アントワネットは生前、ヴェルサイユ宮殿の外れの宮殿に友人らを招待し好きな音楽や歌劇を楽しむ趣味の時間を充実させていた。王妃の贅沢な暮らしは国民の怒りと反感を買い、「首飾り事件」が起きる。
1785年、王妃マリー・アントワネットの悪評を決定づけた「首飾り事件」。パリの宝石商が持っていた豪華な首飾りを欲しがったラ・モット伯爵夫人が「王妃が世間に知られずにこの首飾りを購入したがっている」と嘘をつき、計略がうまくいき宝石を手に入れる。ラ・モットはこれを分解して国外に売却。宝石商に代金は支払われず事件が発覚。裁判でアントワネットは無関係と証明されたが、世間には誤った情報が広まる。1789年、フランス革命が勃発。アントワネットは国外脱出を図るも捕らえられ、反逆罪などで死刑判決。1793年10月16日、処刑が執行される。
横浜みなとみらいで行われているマリー・アントワネットの展覧会「マリー・アントワネット・スタイル」。アントワネットの美意識に影響を受けた現代の作品も展示。
絶対王政の時代、王族の肖像画にはフランス王家の紋章「フルール・ド・リス」をあしらうのが一般的だった。絵画「コートドレスのマリー・アントワネット」にはその紋章がなく、代わりに描かれているのはお気に入りだった薔薇の刺繍と大好きだったリボン型のチョーカー。17歳ですでに自分の美学を貫いていた。
次回の「新美の巨人たち」の番組宣伝。
「スポーツ リアライブ~SPORTS Real&Live~」の番組宣伝。「阪神 巨人 首位争いの行方は!?」など。
