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今回はルクセンブルクの至宝、分断の時代に撮られた伝説の写真展を雨宮塔子が巡る。その展示会がこの夏に日本にやってくる。画期的な展示方法と強いメッセージを紹介。
オープニング映像。
ルクセンブルクはドイツとフランスに囲まれた神奈川県ほどの大きさの国。ルクセンブルク中央駅からおよそ1時間の場所に雨宮塔子がやってきた。6300人のクレルヴォー。12世紀に建造され、いくつもの戦火を乗り越えて再建されたクレルヴォー城。ザ・ファミリー・オブ・マンこの城の中に恒久展示されている。世界中で900万人以上が訪れた伝説の写真展。深い森の中で静かに眠る子どもは、光と自然を見つめたアメリカの写真家のウィン・バロックが愛娘をモデルに撮影した。ポロネギをもつ恋人たちという作品はロベール・ドアノーとうい20世紀を代表するフランスの写真家で数多くの恋人たちを捉えた一枚。ここには世界68カ国、273人の写真家が写し出した503枚の写真が並ぶ。今回の作品は「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真家エドワード・スタイケンの構想から生まれた展覧会。
写真展のザ・ファミリー・オブ・マンは1955年にニューヨーク近代美術館で初めて公開され、ソ連や南アフリカなど世界各地を巡回。冷戦による分断の真っ只中に人間は一つの家族であるという思いを込めてスタイケンが写真展を開いた。人の一生をたどる構成になっているという。
写真展のザ・ファミリー・オブ・マンの始まりは「愛」。ロバート・キャパは戦場の決定的瞬間を捉え、時代の長壽となったが。ここに展示されている作品は、東ヨーロッパの静かな村で撮影された結婚式の風景。世界中の写真家が写し出した愛の形。そこには戦後間もない頃に撮られた日本んの花嫁の姿も。そして展示会のプロジェクトマネージャーのクレール・ディ・フェリーチェさんはスタイケンは有名な写真家と無名の写真家の写真を組み合わせうことで一つの物語を生み出そうとしていた。一枚一枚の写真が呼応し、川のように大きな物語を紡ぎ出す。空間の構成や展示方法に多くの工夫を凝らし、写真の見せ方を演出している。
次に向かったのは「ザ・ファミリー・オブ・マン」の労働のブース。木の上で斧を振り上げる木こりの姿があり、実際に働く姿を仰ぎ見ているような感覚になる。土や水と格闘しているものは下の方に。畑や小高い山での作業は上の方にと労働と写真の配置場所が連動している。山間の景色を大きく引き伸ばした一枚。右下には大地を耕す人々。上段には耕地で羊を遊牧させるひとの姿が。広がる風景と間近に捉えた人々の営みを重ね、その場にいるかのような臨場感を生み出してる。スタイケンは、写真の世界を体験する仕掛けを随所にこらし、見る者を物語の中に引き込んでいる。写真を並べるだけでなく観客の視線や、心の動きまでを考えた細やかな演出が施される。ザ・ファミリー・オブ・マンの生みの親のエドワード・スタイケンは1879年にルクセンブルクに生まれた。アメリカへわたり、独学で表現を磨き、やがて写真誌に名を刻む存在に。
エドワード・スタイケンは16歳でカメラと出会い、ファッションや広告の世界で名を馳せ、写真を芸術の域にまでお仕上げた1人。スタイケンの研究家のポールさんはスタイケンはVOGUEやVanity Fairで働き、ファッションやセレブリティを撮影する写真家になったという。1920年代から30年代にかけてアメリカで最も稼ぐ写真家になったという。写真界の第一線を走り続けたスタイケンは、60歳を目前に衝撃的な出会いを晴らした。1930年代にアメリカの農村を撮影した写真群。大恐慌という過酷な現実を生きる人々の姿に胸を打たれた。そして、写真を組み合わせ編集することで見る者に問いかける大きな力が生まれるのではないか。その後、スタイケンはニューヨーク近代美術館の写真部門の責任者に。世界中から寄せられた数100万枚の写真から、4年以上賭けて人間の営みを映し出す503枚を選び抜いた。
家族のブースにやってきた雨宮。この部屋には、世界各地の家族が重なり合うように展示されている。最盛期には1000万部を誇った写真誌の「LIFE」にも掲載されたGHQ占領下の日本の家族を撮影した。写真を選ぶ際には雑誌や新聞に掲載されて話題になった作品をあえて選んでいたが、一般の観客にも親しみやすく、みたことのある写真を美術館という公の場でもう一度発見する喜びがあったという。国や文化も異なる家族の姿も同じ空間におくことで、人間は一つの家族であると考えた。スタイケンは自らの作品も忍ばせていたが、他よりもひときわ小さくパイ皿をもつ母の温かい眼差しを写した。スタイケンは晩年に子どもの頃に軽はずみに差別的な発言をした際に、母は人種の信条も肌の色も関係なく人はみな同じだと語っていたという。その教訓がザ・ファミリー・オブ・マンの礎になっていると語った。
雨宮が次にやってきたブースは余暇。食事をし、踊って笑い合う人々の姿が映し出されている。そして死のブースでは日本に子どもの姿が。
ルクセンブルクは19世紀後半までは貧しい農業国だった。そんな時代にアメリカへとわたり、写真界の巨匠と言われたエドワード・スタイケン。祖国への思いを込めるようにルクセンブルクの古城に恒久展示されているのが写真展のザ・ファミリー・オブ・マン。
死のブースに並んでいるのは9人の肖像写真。3人の女性、3人の子ども、3人の男性、世界各地で起きた戦争を伝える人々の顔。スタイケンが真ん中に据えたのはおにぎりを持った日本の子どもの一枚。終戦直前の様子が捉えられて、トリミングされて本来の文脈から切り取られているが、他の写真とのつながりがある。撮影したのは山端庸介という日本人カメラマンだった。
今から81年前の長崎県長崎市で、山端庸介は8月9日の翌日に何時間も歩き回り、被爆した街を撮り続け、従軍カメラマンとしてその惨状を記録する使命に帯びていた。焼けあとで多くの命が失われた現実を記録する中で同じレンズが捉えたのは、おんぶ紐を固くシメて立つ姿、賢明に生きる赤ん坊、母とともにおにぎりを手にする子どもの姿。1956年にザ・ファミリー・オブ・マンは日本も巡回した。建築家の丹下健三が展示会を手掛け、日本だけで、100万人以上の人を集めた。
青山雅英さんは山端庸介の孫。原爆は写真がすべてなので見なさいと言われたという。写真をみて真実を知ることだと語り、そこからは自分で考えるべき、見ることが全てということをずっと言っていたという。それは戦争を間近に記録した経験のあるスタイケンも同じだった。ザ・ファミリー・オブ・マンではどこで写したのかなど情報は明らかにされていない。写真そのものが語りかけてくる。
ザ・ファミリー・オブ・マンの最後の写真は世界中の子どもたちの写真だった。ザ・ファミリー・オブ・マンは現在、日本橋高島屋S.C.で開催されている。
新美の巨人たちの次回予告。
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