- 出演者
- 有働由美子 片岡信和 千々岩森生 紀真耶 浅尾美和 武隈光希
プロ野球オープン戦・オリックス2−1阪神。オリックス、中川圭太。類いまれなるバッティングセンスから、名付けられた愛称は“無敵の中川”。直近7打席全出塁。きょうで10打席連続出塁。
プロ野球オープン戦・巨人1−2ロッテ。打撃絶好調のロッテ・西川史礁が今日も大暴れ。規定打席には届かないものの打率は驚異の4割超え。大卒野手で開幕スタメンとなれば球団28年ぶり。
プロ野球 オープン戦 順位表を伝えた。
サッカー日本代表がW杯出場を決めた。実に8大会連続。この日本サッカー躍進の礎を築いたのが、川淵三郎さん。現状打破に挑戦し続けた川淵さんと対談。スタジオで8か月前から始めたという趣味の三味線を披露。88歳の今もなお続く挑戦。その川淵さんが築いてきた日本サッカーの歴史に先日、新たな1ページが加わった。
FIFAワールドカップ2026アジア最終予選 対バーレンで日本は鎌田大地、久保建英がゴールを決め、8大会連続のワールドカップ出場を決めた。
日本サッカー協会の強化委員長を務めていた1993年に「ドーハの悲劇」を経験。4年後のフランス大会でもアジアの高い壁が立ちはだかる。勝ち切れない試合が続き加茂監督の更迭に踏み切る。その後、岡田新監督のもと勝てばワールドカップ初出場がかなう一戦へ。「ジョホールバルの歓喜」。日本代表が悲願のW杯初出場をつかみ取った。
W杯への出場が当たり前となった日本だが、いまの日本代表について川淵氏は「全然レベルが違う。いまの選手のほうが僕よりもサッカーの知的能力が上」などとコメント。川淵さんの注目選手は三笘薫だという。
ジョホールバルについて川淵氏は「すべての風当たりは僕に来た。胃に激痛が走り、胆石がみつかった。手術のためにジョホールバルには行ってない。家族で涙流して抱き合った。本当に嬉しかった」「振り返るとドーハの悲劇の方が大きい。ショックから日本サッカーは始まった」とコメント。
936年、大阪府で生まれた川淵さん。高校1年生でサッカーを始めると、大学時代に日本代表に初選出。1964年の東京五輪ではアルゼンチン戦でゴールを決める。1ゴール1アシストの活躍でベスト8進出に貢献。“槍の川淵”と評される。引退後はクラブチームや日本代表で監督を歴任。その後は会社員に専念した時期もあるが、51歳の時、再びサッカー界へ。目指したのは日本サッカーのプロ化。空席が目立っていた当時のスタジアム。川淵さんは勤めていた会社を辞めてまで改革を決意する。当時はプロ野球のように、スポンサー企業が前面に出てチームを運営する企業スポーツが一般的だった。対して、Jリーグの理念は地域に根差したクラブ。そのため、クラブ名には地域の名前を入れ、企業名を前面に出さない方針を打ち出した。新たなマーケティング手法も次々導入し、開幕前から注目を集めていく。開幕戦は前売りチケット4万枚に対し応募数は78万件以上。サッカーが日本の人気スポーツへと変わっていく瞬間だった。
特に対立したのが、ヴェルディ川崎の親会社・読売新聞の社長であり、プロ野球界でも大きな発言力があった渡辺恒雄さんだった。企業を前面に押し出して企業を作ってきた渡辺さんと、企業名を禁止し地域密着のクラブを目指す川淵さん。激しい応酬が連日のようにメディアをにぎわせていた。川淵さんは渡辺さんとの論争を通じてJリーグの理念を浸透させていった。
顔を赤くして怒る川淵三郎氏。当時日本のバスケットボール界には男子に2つのリーグが存在。国際バスケットボール連盟はNBLとbjリーグを統一するよう求めてきたが、長年実現できず。男女共、国際試合への出場を認めないと処分を下してきた。リオデジャネイロ五輪の予選まで1年を切ったタイミングだった。川淵三郎氏に課されたのは短期間でのリーグ統一だった。リーグ統一のため改革すべきは収入源。企業からの資金面でのサポートがあり、収益を重視しないNBLに対し、bjリーグは規模が小さく収益が少ない。この課題を解決するため、川淵氏は各チームに5000人規模のホームアリーナの確保を求めた。Jリーグのように地元の人に支えてもらおうと考えたため。川淵氏の就任から制裁は半年で解除された。
川淵氏はWEリーグについて成功しないと反対していたが、Jリーグスタートする時にも上から同じように言われていたと思い出し、新しい考えを否定しないことが大切だと気づいたという。
- キーワード
- WEリーグ
JリーグとBリーグを成功に導いた川淵三郎。一昨年文化勲章が贈られた。スポーツ界では3人目の受賞。国立競技場で開かれた祝う会には各界の著名人が集まる中、スピーチで話したのは妻・康子さんへの感謝の言葉だった。感謝の気持ちを伝えるとは言ってあったが、ハグするとは言ってなかったという。家内がいないと今の僕はなかったなどと川淵氏は話した。
次なる挑戦について、川淵氏は三味線と話した。
川淵氏のインタビューを受けてのスタジオトーク。有働由美子は川淵氏のエネルギーは怒りから来ると思うと話した。改革後はさっと次の世代に道を譲るところが古い体質を変えるリーダーのあるべき姿などと指摘した。
- キーワード
- 川淵三郎
「見取り図じゃん」の番組宣伝。