- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回、明治天皇の壮大な旅の足跡をたどる。
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- 明治天皇
オープニング映像。
明治5年から18年にかけ、明治天皇は壮大な巡幸を行った。この時、西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允らが同行した。1回目の巡幸は天皇に近代化の最前線を肌で感じたもらうという目的があった。
明治5年、天皇は洋装を着用して西郷隆盛をはじめとした約70人の要人とともに1回目の巡幸をスタートした。移動には最新鋭の軍艦「龍驤」が使われ、明治4年に創業した造幣局、ドックなどを訪問。同局には30人以上の外国人技師がいて、天皇は激励し晩餐会を催した。京都では産業博覧会が開かれ、天皇は最新の発明品を鑑賞し、細かく質問したという。一方、長崎では「洋装をやめてほしい」という意見書が提出され、西郷隆盛が一喝したという。近代化は政府と地方とで温度差があった。巡幸の最終日、悪天候により一行は横浜港に立ち寄った。政府は天皇を蒸気機関車に乗せ、品川まで走行させた。仮営業だったが、いち早く体験してもらいたいという狙いがあったという。
明治政府は天皇に近代日本を導くリーダー、国民から敬愛される存在になることを期待した。巡幸で国民との距離を縮めようとした。
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明治天皇は熊本を訪れた際、地元の商人だった米村家の別邸に宿泊した。いわば、民泊。10畳の座敷で一晩を過ごした。建物は郷土の誇りとして、保存会メンバーがキレイにしている。第1回の巡幸では天皇は3か所の民家しか宿泊しなかったが、第2回では急増。移動手段は軍艦から馬車に。皇室の記録編纂に携わってきた岩壁義光氏は民衆が天皇は可視化された存在、同じ空間に生きている存在だと認識したはずだという。明治天皇の生涯を記録した「明治天皇記」には青森で馬車が坂道で立往生した際、地元の青年たちが押してくれたと記されている。大久保利通は第2回の巡幸に東北地方を選び、自ら下見を行った。明治維新の折、戊辰戦争の激戦地だった。戦争から7年後、第2回の巡幸が行われた。福島・白河市で、天皇は戦火がどのようなものだったか、地元の人々の話に耳を傾けた。天皇は馬好きで知られ、人々は馬の展示会を催したところ、約1500頭が集まった。
明治政府は巡幸にカメラマン、記者を同行させた。また、巡幸の様子は錦絵に描かれて販売された。河合敦氏は「メディアが果たした役割は大きい」と語った。
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明治時代、政府は北海道の警備と開拓のため、屯田兵を設置した。各地から家族を合わせて約4万人が北海道へ移住。明治天皇は巡幸の際に屯田兵と対面し、激励した。北海道はロシアの軍事侵攻に備える防衛の要、食料増産を期待され、屯田兵はそれらの担い手だった。明治9年に設立された開拓使麦酒醸造所を訪問すると、天皇は試飲しおかわりを所望。夜には1ダースが届けられたという。当時のレシピをもとにしたビールは今も醸造されている。北広島市で天皇は中山久蔵と面会。中山は北海道の厳しい気候でも収穫可能な米「赤毛」の栽培方法を確立した傑物で、天皇は赤毛を食し、質問も重ねたという。赤毛の品種改良を重ねた結果、ななつぼし、ゆめぴりかが生まれた。
明治天皇の壮大な巡幸は明治18年に終了。翌年、大日本帝国憲法が発布された。天皇、政府要人は議会に参加するなど公務に忙殺され、長期にわたって東京を離れることが難しくなったという。佐藤二朗は「明治時代の急激な変化に人々は戸惑いながら、それを乗り越えていったのを感じたし、巡幸は大きな助けになっていた」などとコメント。
「歴史探偵」の次回予告。
