- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
今回は伊勢パールピアホテルからスタート。石原良純はお伊勢参りをするときに必ずこのホテルに泊まっている。毎年、前日深夜にチェックインし、朝6時50分起床。7時にお伊勢参りをし、東京に戻っている。
オープニング映像。
朝8時10分、良純と孝太郎はホテルを出発。ホテルから伊勢神宮までは歩いて15分ほど。良純は19歳から毎年必ず伊勢神宮に行っている。2時間かけ内宮、外宮、猿田彦神社を回っている。参宮線は1893年、伊勢神宮への参詣路線として開通した。伊勢神宮の狙い目は12月と2月が人が少なくておすすめ。歩くこと10分、伊勢神宮の玄関・伊勢市駅に到着。駅の眼の前にある鳥居は木製で間伐材の檜を使用している。間伐材が使われる前、1956年に伊勢神宮への信仰が深かった松下幸之助が寄進した。東京・浅草にある雷門の大提灯も松下幸之助が寄進している。江戸時代の伊勢神宮周辺は全国屈指の観光名所だったという。伊勢神宮は内宮、外宮がメインだが全部で125社ある。125社の総面積は世田谷区と同じ面積がある。参道にある山田館を紹介した。外宮は多くの人がお伊勢参りをスタートする場所。小泉純一郎も現役の頃は毎年、お伊勢参りしていた。今回案内してくれるのは音羽悟さん。外宮は左側通行になっている。手水舎が左側にあるので左側通行になっている。手水の作法を紹介した。清盛楠は樹齢1000年のクスノキで平清盛が被っていた冠に触れた枝を自分の権力を示すため切らせたと言われている。
オープニング映像。
良純と孝太郎は伊勢神宮を訪れた。伊勢神宮にいる鶏は神聖な鶏で天照大御神の使いとも言われている。伊勢市の4分1を占める広さの伊勢神宮。敷地は外宮、内宮でエリアが別れており、伊勢市周辺の125社のお宮、全ての総称が神宮と呼ばれる。外宮と内宮は約4km離れていて、天照大御神をお祀りする、内宮正宮が一般的なお伊勢参りのゴールとなっている。江戸時代のお伊勢参りは、大きな街にある外宮が伊勢神社と信じ込み、内宮までお参りせず帰ってしまう人も多かった。伊勢神宮の鳥居は20年に一度、作り変えられる。内宮は天照大神、外宮は豊受大御神を祀っている。御敷地は式年遷宮で新たなお宮が立つ神聖な場所。令和15年の10月頃、外宮の正宮を建設する。その傍らには心御柱がある。
外宮の中で最も格式が高いのが豊受大神宮。祀られているのは天照大御神の食事を司る豊受大御神。良純と孝太郎は豊受大神宮でお参りを行った。御帳は神聖な空間を外界から遮る役割をしている。豊受大神宮には賽銭箱がない。
良純と孝太郎は別宮へと向かった。別宮は正宮2社の次に重要とされる14社のお宮のこと。伊勢神宮の125社は天照大御神、豊受大御神を祀る正宮を中心として5つの格式に別れている。外宮の域内には「多賀宮」「土宮」「風宮」の3所の別宮が鎮座している。多賀宮に祀られているのは豊受大御神荒御魂。神様の魂は荒御魂と和御魂という2つの側面を併せ持っており、荒御魂は勇猛で荒々しい側面を、和御魂は穏やかで優しい側面を表している。一般的に伊勢神宮はお願いではなく感謝を伝える場所とされているが、荒御魂のある「多賀宮」は個人的なお願いをしてもよいとされている。孝太郎は神様にお願いをするのはおこがましいと、お願いごとをしたことがないという。
孝太郎は神様にお願いをするのはおこがましいと、お願いごとをしたことがないという。お参りは来て見て感じることが大事だという。伊勢神宮のお宮は太陽が最も高く昇る方角から太陽のエネルギーを受けられるという考えから殆どが南向きになっている。しかし土宮だけは東向きになっている。土宮は土地や農業、作物の聖域を司る神・大土乃御祖神を祀っている。背後に流れる宮川の反乱を防ぐため川を背にして東向きに建てられている。
風宮は鎌倉時代に別宮に昇格した。元寇のときに神風が吹き、元を撃退した。そのため別宮に昇格した。風宮は元々、雨風を司る夫婦の神・級長津彦命、級長戸辺命を祀るお宮。
食の神・豊受大御神を祀る外宮へ。その外宮で食に関する重要な儀式が行われる場所がある。忌火屋殿で毎朝食事の用意をしている。御饌殿は朝と夕の2回、神様にお食事を奉る場所。外宮鎮座より約1500年間、朝夕2度毎日欠かすことなく、日別朝夕大御饌祭が行われている。御神饌は神職の方が交代で作り、基本的に自給自足。神宮神田で米を作り、神宮御園で約50種類の果物や野菜を栽培している。
良純らは内宮に移動。御木本道路は真珠で有名なミキモトの創業者・御木本幸吉が資金を提供してできた道路。内宮入り口にある大鳥居は冬至の前後1か月間の朝だけ、大鳥居の間から日の出が見え人気スポットとなっている。内宮は五十鈴川で手水をする関係で右側通行になっている。明治時代まで参道の両側には宿や神職の住居が立ち並びお伊勢参りに来た人を招き入れていた。内宮にある国旗の大きさは8畳ある。松の木は自生している石は「さざれ石」。柵で囲まれている松はある方が植えられたため、手入れを一切していない。
柵で囲まれている松はある方が植えられたため、手入れを一切していない。この松は大正天皇は植えたものだった。御手水場は徳川綱吉の母・桂昌院は1692年に作った。伊勢神宮はの初詣には例年三が日で40万人以上が参拝にやってくる。御贄調舎は神様への特別なお供え物を使った儀式を行う場所となっている。豊受大御神は天照大御神にアワビを用意していた。天照大御神の大好物はアワビとされている。皇大神宮は天照大御神が祀られていて、お伊勢参りの最終地点として誰もが目指す場所となっている。階段から先はカメラ撮影はNGとなっている。良純と孝太郎は皇大神宮でお参りをした
伊勢神宮では20年1度お宮を建て直している。新しいお宮は現在のお宮の隣に建てられる。次に建てられるのは2033年10月。前回の式年遷宮の貴重な古いお宮から新しいお宮へ神が遷る儀式「神遷しの秘儀」の映像を紹介した。23年前、良純が奥様と指輪交換したのもこの場所だった。お宮は檜とススキを使っている。伊勢神宮はススキを作っている山をもっている。今、茅山を育てているという。2033年まで33回の異なるお祭りを経て行われる式年遷宮。その新しいお宮に使われている萱を育てている森に、良純と孝太郎が潜入することになった。
良純と孝太郎は荒祭宮を訪れお参りをした。一念発起したい方や新たなことをチャレンジしたい方が多く訪れるという。御酒殿はお酒の神様が祀られている神酒を意地知的に納めているところ。
8年後の式年遷宮へ向けて動き出している伊勢神宮。そのときに建てられる正殿の屋根に使われる萱は伊勢神宮の萱場で栽培された特別なもの。今回、特別に萱場を見せてもらうことになった。案内してくれるのは羽根大貴さん。ススキを育てている場所の面積は約100ヘクタール。東京ドーム約21個分。まずは事業所を訪れ管理する責任者の久保田圭一さんと合流した。ここから久保田さんの案内で更に上の神域へと向かった。
良純と孝太郎は久保田さんの案内で更に上の神域へと向かった。神宮萱場は標高320m.この山から採取されるススキが伊勢神宮の式年遷宮で新たな茅葺き屋根になる。この山では、管理人の久保田さんを中心に、ススキを植え育成、管理している。全てのススキが使われるわけではなく厳選された形質の良いススキのみを使用する。
良純と孝太郎は久保田さんの案内で神宮萱場を見学。良い萱の条件はまっすぐで曲がりがなく病虫害がないもの。枯れさせてからでないと収穫はできない。葺き替えには長さ、太さ、乾燥状態が均一なススキが必要となる。雑草に栄養が取られるため毎日手入れをする必要がある。次回の式年遷宮に向けて18年かけて萱を調達している。太さ40cmの1束でまとめて保管している。18年でこの束を2万3000束作るという。
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伊藤和幸さんの幸福時間は週に1~2度行う、奇術。14年前に異業種交流会の懇親会で間近でみて自分もやってみたくなったという。年に1度は福祉施設などで披露している。
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