2025年11月20日放送 20:15 - 20:42 NHK総合

熱談プレイバック
ミスタープロ野球・長嶋茂雄のドラマチック人生!

出演者
神田春陽 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。講談師・神田春陽が熱い語りでミスタープロ野球・長嶋茂雄を蘇らせる。

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国民栄誉賞長嶋茂雄
長嶋茂雄伝
父に捧げるホームラン

長嶋茂雄といえば栄光の背番号「3」、3本の劇的なホームランを紹介。まずは父に捧げるホームラン。昭和11年、千葉・佐倉市で誕生。小学4年で出会ったのが野球だった。ある日の朝、茂雄の枕元に新品のグローブがあった。父・長嶋利が買ってきたのだった。役場に務める利は真面目一筋、家では子煩悩で4人兄弟の茂雄には甘かった。茂雄はますます野球にハマっていく。中学では野球部に入る。地区大会の決勝、9回ウラで茂雄は強烈なヒットを打ちサヨナラ勝ち。茂雄は千葉第一高等学校からスカウトされた。父・利は喜んだが、茂雄は佐倉第一高等学校に行きたいという。地元の高校で力を奮いたいという思いがあり、利は茂雄の背中を押してくれた。佐倉一高の練習は厳しかったが、茂雄は踏ん張り、2年生になると四番を任されるようになった。茂雄は後楽園球場へと通い、川上哲治などスター先週の打撃を観察し、家に帰ると何度もモノマネしイメージトレーニングをする。そんな茂雄の様子を利が見ていた。高校3年の夏、佐倉一高は千葉県予選ベスト4に進出。茂雄は晴れ姿を父・利に見てほしいと思っていた。利は仕事が忙しく茂雄の試合を見たことがなかった。試合がはじまり、スタンドには大応援団がいたが父の姿はなかった。茂雄の第3打席、超特大ホームランを放った。試合には敗れたが意気揚々と家に帰ってきた茂雄。父は大きいホームランだったなぁと言った。頑張る息子の姿を見ようと父はスタンドに来ていた。これが父に見てもらった最初で最後の試合となった。立教大学1年のとき、練習中にチチキトクの電報を受け取った。利は茂雄に野球をやるからには六大学で一番の選手になり、プロに入っても一番になり日本一の男になれと話し、息を引き取った。茂雄は東京六大学のスター選手に成長し、4年のときひあホームラン8本の新記録を達成した。

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世紀の一発

六大学野球で大活躍した茂雄はたくさんのプロ球団からスカウトを受け、選んだのは読売ジャイアンツ、背番号は「3」に決まった。ルーキーの茂雄ははじめてキャンプに参加したが、軽いノックで練習は終わり、オープン戦では最多本塁打。プロなんてこんなものかと思った。当時、プロ野球は職業野球と呼ばれていて、六大学野球に比べて人気がなかった。プロをみくびった茂雄は開幕戦前夜もバットを手に取ることはなかった。シーズンが開幕し、初戦の相手は国鉄スワローズ。金田正一相手に茂雄が打席に立つ。結果は4打席連続三振、バットに当てたのは1球。甘く考えていた自分を恥じた茂雄はグラウンドで素振りに打ち込む。すると打率は上向き夏には四番に定着、ホームラン王と打点王、新人王を獲得。プロ野球の人気も高まっていった。プロ2年目、プロ野球史上初の天覧試合が行われる。天覧試合当時、阪神との対戦。4-4の同点でむかえた9回ウラ、巨人の最後の攻撃。茂雄は村山実相手にサヨナラホームランを打った。

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最後のホームラン

茂雄が何よりもこだわったのは魅せる野球。茂雄にはプロは観客を喜ばせ感動させるという熱い思いがあった。いつしか、ミスタープロ野球と呼ばれるようになった。巨人は黄金期に入るが、茂雄にも体力の衰えが出はじめる。人前では明るく振るまい、家に帰ると地下室でバットを振った。しかし、長嶋限界説が囁かれるようになる。昭和48年10月、茂雄は監督の川上哲治から巨人の監督になることを打診されたが、茂雄はもう1年だけバットを持たせてほしい、あと1年最後の勝負をさせてほしいと頼んだ。茂雄は今まで以上に素振りや縄跳びをしたが、先発メンバーから外された。昭和49年10月14日、茂雄は現役最後の日をむかえた。後楽園球場には5万人のフ押し寄せた。4回ウラ、茂雄は通算444号ホームランを打った。

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