- 出演者
- 北原照久 福澤朗 今田耕司 菅井友香 サンプラザ中野くん
旧車コレクターが700万円で購入したのは、日本に3台しかない車?74年前の車に今田も大興奮!骨董市で発見したのは、教科書にも載っている文化財級の屏風!?依頼人の評価額は2000万円。出張鑑定は、石川県かほく市。おもしろ依頼人が大集合。伝統工芸・輪島塗の衝立に驚きの鑑定結果が。
オープニングトーク。今田は、菅井の真面目さを見た、お宝のめくり方まで裏で確認していたなどと話した。
今日のゲストは、サンプラザ中野くん。早稲田大学在学中に、ギターのパッパラー河合とバンド活動を始め、1982年に爆風スランプを結成した。1984年に、「週刊東京「少女A」」でメジャーデビュー。パワフルでパンクなサウンドと、過激なパフォーマンスで人気バンドになった。1988年、「Runner」を発売すると、この年の紅白歌合戦に出場した。34万枚を売り上げた。1999年に活動を休止した。その後は、小説・健康・資産運用など幅広いジャンルの書籍を執筆。現在の目標は125歳まで生きること。デビュー40周年を迎えた去年は、爆風スランプとしての活動を再開し、配信シングル「IKIGAI」を発売した。「大きな玉ねぎの下で」にインスパイアされた映画が公開中。「大きな玉ねぎの下で」はサンプラザ中野くんが作詞した曲。
サンプラザ中野くんの依頼品は、水晶髑髏。20年近く前、アメリカ・セドナで、ネイティブアメリカンのシャーマンの資格を持っている日本人から20~25万円で売ってもらったという。本人評価額は100万円。鑑定結果は、40万円だった。本物の水晶髑髏で、元の石の特徴を活かしされていて、水晶としての見どころと髑髏としての見どころがひとつになっているのが貴重だという。
徳島県板野町の徳島工業短期大学へ訪問。依頼人はこの学校で特別講師をしている元木さん。自動車工業学科の生徒たちと一緒にT型フォードの修理を行っている。この車が学校に寄贈され、試しに始めたところ以外にも生徒に大好評。元木さんは現役の自動車整備士。10年くらい前から旧車の魅力にハマり、壊れた車を買ってきては修理して走れるようにしてきた。現在30台以上をコレクション。今回のお宝は、日本に3台しかない貴重な車。元々知り合いのコレクターが所有していたものだったが、5年前にもう高齢だから買ってほしいと打診されたという。金額が高かったが二度とないチャンスと思い切って購入。依頼品は、三輪自動車ダイハツ・ビー。買った時は動かず修理したという。MCらが乗車体験。三輪自動車はかつては日本中を当たり前のように走っていた。日本に初めて三輪自動車が登場したのは大正時代。前2輪・後ろ1輪の自転車にアメリカ製小型エンジンを取り付けたものでフロントカーと呼ばれた。しかし安定性に欠けたため、すぐに後ろ2輪タイプが途上。やがて国産エンジンが開発されると全国に普及していった。戦後、いち早く復興に向け活躍したのは、未舗装の狭い路地や小回りが利く山林トラックだった。GHQが乗用車の製造を制限したことや、四輪車よりもコストがかからなかったことから数多くのメーカーが山林トラックを発売。その代表的なメーカーがダイハツ工業。1957年に登場したミゼットは、宣伝に大村崑を起用したことも話題を呼び空前の大ヒット。また消防車やバキュームカー、ゴミ収集車にダンプカーなどの特殊車両にも技術を応用し様々な三輪自動車を手掛けた。ミゼット販売の6年前に三輪の乗用車も販売。GHQが乗用車の生産制限を解除したことを受け、1951年に発売したビー。トラックとは一線を画した乗り心地の良さを追及。名前は公募でミツバチを意味するビーに決まり、ダイハツは社を上げて売り出した。しかし思うように販売台数が伸びず、1年ほどで販売中止に。生産台数はわずか300台。1960年代に入ると、自動車産業は四輪の時代に突入し、三輪自動車は次第に町から姿を消していった。
今回は能登半島の石川県・かほく市で出張鑑定を行っていく。
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- かほく市(石川)
町の見所。3位「恵比寿大明神」。日本海を一望できる場所にある神社。
町の見所。2位「石川県西田幾多郎記念哲学館」。善の研究などの著書で知られる哲学者 西田幾多郎遺品や原稿などが展示されていて、建築家の安藤忠雄が設計を手掛けた建物は夜には全体が幻想的にライトアップされる。
町の見所。1位「加能ガニ」。日本海でとれた甲羅9cm以上の雄のズワイガニの中から優れた品質のものを厳選し、加賀と能登から一文字ずつとって命名されている。
家電カタログを集めている石田利弘さんが持ち込んだお宝は「ボウリングゲーム」で、54年前に親から買ってもらったおもちゃ。本人評価額は5万4000円で、結果はボウリングゲームのコレクターが少ないということで5000円だった。
宮坂友希さんが持ち込んだお宝は祖父から受け継いだ「青磁の香炉」。江戸時代に作られたものだといい、本人評価額は300万円。結果は近代名工である初代 諏訪蘇山が大正期に作ったとされる作品で、15万円。
出張なんでも鑑定団は石川県かほく市から「輪島塗の衝立」を鑑定。片面を輪島を代表する三谷吾一、もう片方を輪島で活躍し鰈モチーフを多く手掛ける相上俊郎が製作した。輪島の実家にあったが去年の能登半島地震で被災し下敷きになったが無傷だったということ。評価額は50万円だった。
出張!なんでも鑑定団は石川県かほく市、能登半島地震で倒れても無傷だった三谷吾一と相上俊郎の作の輪島塗の衝立を鑑定、本人評価額は50万円だったが250万円だった。勝見氏は「輪島の有名な作家のコラボ作品はほとんど残っていないと思う。一見簡素だが余白を生かしている。三谷が蝶のモチーフを使い出したのは1968年で透明感などを出すために顕微鏡で研究し沈金技術で表現したもの。相上俊郎は鰈が得意だがグラデーションで立体的に作っていて中でも一番良い」と評した。
出張!なんでも鑑定団は石川県かほく市、昭和レトログッズ大好きの山下さんが登場。1970年代に子どもたちの間で流行したスーパーカー自転車を紹介した。お宝は「ブリキの七面鳥」1950年代に作られたもので10年くらい前にネットで6000円で購入、今でも動くということ。本人評価額は1万円だったが5万円の結果だった。1950年代に占領下のドイツで作られたものを日本の三恵玩具がコピーして作ったものと評した。
出張!なんでも鑑定団は石川県かほく市。渓流釣りで何度も危ない目に遭っている依頼人池田さんは「山川孝次の置物」を鑑定。山川孝次は江戸後期から3代にわたり加賀象嵌を手掛けている。還暦になったときに自分のお祝いで骨董店で久隅守景の掛け軸を購入、真贋に自信が持てずに返品しに翌日訪れた際に見つけたという。本人は評価額は30万円だったが50万円だった。山川孝次に間違いなく、昭和初期に作られと金技術の細やかさがわかる作品だと評した。
今回の依頼人は東京・武蔵野市の坂田史子さん70歳。お宝は昨年骨董市で発見したもので、販売価格65万円を半額で購入した「南蛮屏風」。南蛮屏風は主に16世紀末から17世紀半ばに制作された異国人達との交易の様子を描いた風俗画。依頼品には、十字架やロザリオの珠を持つ宣教師や色鮮やかなマントを羽織った者などが描かれている。
依頼品の南蛮屏風を鑑定。依頼人の評価額は2000万円。鑑定額は35万円となった。安河内眞美は「明治以降に作られた古美術品とは言えない作品。」などと話した。
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