2025年2月23日放送 13:05 - 13:45 NHK総合

首都圏いちオシ!
新日本風土記 さいたま熊谷

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(新日本風土記 さいたま熊谷 夏のしあわせ)
さいたま熊谷 夏のしあわせ

日本一暑い街として知られる埼玉県熊谷市。暑いけれどこの街の人たちはどこか誇らしく嬉しそうである。熊谷の人達が一番元気になる、にぎやかな夏の物語。

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熊谷(埼玉)
一世一代 大総代

7月、あちこちでお囃子の音が響き出す。関東一の祇園と称えられ、街中が盛り上がる「熊谷うちわ祭」。お囃子の子どもたちが稽古をしている様子が流れた。江戸時代から300年近く町衆たちが守り抜く祭りでうちわ祭りと名がついたのは、明治の終わりごろだった。熊谷の料亭の主人が東京日本橋で修行中、うちわで盛り上がる祭りに感動し熊谷でも配ったのが始まりである。今年の大総代である萩原直幸さんはその料亭の主のひ孫である。去年の祭りの最終日に前の大総代から年番札を受取り重席を引き継ぐこととなった。今年の祭りはコロナ禍を含み5年ぶりの完全復活となる。12の町会それぞれに独自のお囃子があり、本番では響きの見事さを競うこととなる。熊谷は江戸時代から中山道の宿場町として栄え、商売上手の旦那衆が大勢いた。そして今も祭りを引っ張るのは老舗の後継ぎたちである。

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小舟町八雲神社天王祭日本橋(東京)熊谷うちわ祭熊谷市(埼玉)
温度計は街の顔

19万人が暮らす熊谷市で2018年7月に記録された41.1℃は今も日本の最高気温である。その暑さを全国にアピールしたのは百貨店の前にある大きな温度計である。これが目当てで熊谷にやってくる人もいて温度計は街の顔になっている。熊谷の暑さは秩父山地から熱い風が吹き降りるフェーン現象のためである。さらに東京をはじめ、首都圏のヒートアイランの熱も押し寄せているという。温度計のある百貨店は地元の人たちに愛され128年となる。売り場の奥の奥には温度計の主・宮地豊さんがいた。宮地豊さんは設置されてから18年管理をずっと任されていて、毎日2回気象台の発表を確認している。2007年以来、ずっと変わらず手作業となっていた。6年前、日本最高気温のときは急遽手書きで対応した。温度計の表示は40℃までしかなかったからであるという。温度計のアイデアは宮地さんと街の商店主が知恵を出し合い生まれた。温度計を作ったその年は「猛暑日」が流行語となり、表彰式に呼ばれることとなった。

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ユーキャン新語・流行語大賞熊谷市(埼玉)猛暑日
KUMAGAYAの二人

熊谷で暮らすシェー・ヤィ・サノーさんとキン・チョー・ス・アウンさんは去年10月にミャンマーから来日し、日本語を学んでいる。3DKのアパートをルームシェアで暮らし 、28000円ずつ家賃を出し合っている。食材は近所で調達し、お茶の葉を使ったミャンマーの国民食「ラパット」を作っていた。元々知り合いではなかったが、2人とも留学先に熊谷を選んだことから意気投合した。2人が通う日本語学校は34年前に開校し、校長の佐藤收さんが毎朝生徒を迎えていた。この日は農家の友人が七夕用の笹の葉を持ってきていた。佐藤さんは生徒たちに日本やこの街の文化を¥に親しんでほしいと考えている。キンさんの今の願いは日本語検定に合格し、日本で進学・就職することである。始めは留学に反対だったキンさんの両親だが、最後は受け入れ苦労して留学の費用を工面してくれた。去年の秋、ミャンマーを離れる時見送りに来てくれた家族との写真を見せてくれた。電話の向こうの家族からは「帰らないでね」と言われたとのこと。

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ラパット熊谷(埼玉)
じいちゃんと守る田んぼ

荒川の中流に位置する熊谷。肥沃な土が育んだ米や麦は昔この川を通って江戸に運ばれ、人口が急増する土地を支えた。6月下旬、熊谷は田植えの季節となった。この日植えるのは熊谷ならではの米で夏の気温の高いときに強い品種である。その「彩のきずな」は2012年に熊谷で生まれた。粘りが強くもっちりとした食感が特徴で埼玉以外にも年々広がっている。木部富次さんは熊谷の農家のリーダーで離農した人の田んぼを引き受け、最新の農業機械を導入して大規模化を進めてきた。田植え機も富次さんが購入したものであった。

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彩のきずな木部富次熊谷(埼玉)荒川

9月2日、木部家の田んぼに富次さんが帰ってきた。米作りを代々受け継いで300年、台風や大雨にも見舞われたが作柄は上々のようである。

ラグビータウン

実は熊谷は”ラグビータウン”としても知られる。老いも若きもさまざまな年代の人たちがラグビーを楽しむ。1991年、名門・熊谷工業高校が全国制覇した際は街中が湧いた。40歳以上で作るチーム「熊谷不惑倶楽部」では多くのOBが活躍。暑さをものともせず、仲間たちと青春を謳歌している。

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埼玉県立熊谷工業高等学校熊谷不惑倶楽部熊谷(埼玉)
一世一代 大総代

7月20日、うちわ祭りの神輿がある八坂神社にやってきた。萩原直幸の大総代としての祭りが始まることとなる。4mを超える山車が暑い午後、毎日4時間近く市内を練り歩く。練習を重ねてきた子どもたちのお囃子が鳴り響いていた。祭りに来た人はまずお参りしてうちわをもらう。12の町会ではそれぞれ山車や屋台を出す。町内を周り狭い路地にまで入って邪気を払う。巡行の間、大総代の萩原さんは全体の進行や天気の具合を見ながら打ち合わせに追われるがその合間を縫って自分の町内へ。山車が鉢合わせしたらお囃子の叩き合いをするのが伝統である。叩き合いに勝ち負けはないがやはり相手より大きな音を出したくなるもので力がこもっていく。3日目最終日の夜、すべての山車が集まり精一杯願いを込めた叩き合いが始まる。そして萩原さんの最後の務めとして年番の札を次の大総代に渡し、大総代の座が引き継がれることとなった。うちわ祭りの間、最高気温は3日連続37℃以上だった。

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八坂神社熊谷うちわ祭
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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