2023年8月5日放送 3:55 - 4:50 フジテレビ

FNSドキュメンタリー大賞
行商がつなぐもの〜地方創生の未来とは〜

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(オープニング)
今回は…

山形県西川町にあるまるみつ食品では古沢さんは子どもが生まれた顧客のために刺身を盛り付けていた。しかしこうした機会は減ってきているという。1年に二人くらいだと答え、今の人はそうしたイベントをそもそもしないと答えた。西川町で2022年に生まれた子どもの数は10人。人口減少と高齢化が課題に。そんな町中を古沢さんが車を走らせ行商を行う。その中で見えてきたのは町の変化だった。国が少子高齢化と人口減少などの問題を解決するために地方創生を掲げてまもなく10年。小さな街ではその実感を感じられていない。その現状を特集する。

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まるみつ食品西川町(山形)
オープニング

オープニング映像。

(FNSドキュメンタリー大賞)
行商がつなぐもの〜地方創生の未来とは〜

山形県西川町はかつて多くの商店が軒を連ねた通りに古沢さんが営む鮮魚店のまるみつ食品がある。古沢さんは62歳。その経営の形も大きく変わってきた。地元のお客がこなくなり、今や行商が中心になっているというが売上の9割以上が行商だという。夜明け前に古沢さんは車に乗って商品の仕入れに山形市の市場に週4日車を走らせる。山形市公設地方卸売市場にやってきた。新鮮な魚介類が並び、通い慣れた古沢さんはそこで値段交渉を始めた。高級な魚を買う人はほとんどいないという。そして古沢さんの経営を支えるのは妻の美子さん。行商のトラックは冷蔵の機能があるために燃料費の高騰が大きな痛手に。ゆっくり休む暇もなくお昼すぎには行商に向かい、この日向かったのは山間の小さな集落。近づくと、らじかせでお決まりの音楽を流し古沢さんが来た合図で買い物客がやってくる。家の玄関の前に車を停車させることもあり、歩いて来ることが難しいお年寄りのためだという。

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まるみつ食品山形市公設地方卸売市場西川町(山形)

古沢さんが巡るルートでは西川町の山間部と住宅街で州2日ずる営業している。住宅街でもお客は絶えず。行商を初めて43年。家に招かれることも少なくない。よく話になるのは今後のことで、古沢さんは行商がいかに必要かを地元民たちから聞いた。まるみつは創業100年以上で、当時から行商を行っていた。移動手段の乏しかった時代に鮮魚店の行商は生活の一部として繁盛した。今は高齢化で需要が高まっているが町内で行商をしている鮮魚店はまるみつのみに。今向き合っているのはお年寄りの暮らし。お年寄りからのお願い事も聞き食事だけでなく生活の一部をサポート。また移動中に感じるのは町の変化。過疎化を象徴するように空き家が点在し、西川町には空き家が170軒以上ありその対策に追われている。魚を買いに来た木村さんは地元の製材会社で工場長を務め二人の子どもを育てた。20年ほど前に妻が先立ち、今は一人で暮らしている。三食自炊するのが木村さんの日課だという。

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まるみつ食品西川町(山形)

木村さんの子どもは宮城県で暮らしていて家庭を持っているがその会う頻度は減っているという。高齢化率は全国で5番目に高い山形県の中で西川町は最も高い47%。一人暮らしのお年寄りも年々増えているという。また豪雪地でもあり、冬の暮らしは一層厳しさを増す。

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まるみつ食品西川町(山形)

12月の下旬、古沢さんの母が亡くなった。父と一緒にまるみつの看板を守ってきた母だったが、古沢さんが行商を行う原点だったという。母が亡くなり迎えた12月30日には、昔から年末は慌ただしくなるが、2022年は特別でコロナで帰省しない人が多かったが今年は帰省する人が多かったという。新型コロナ影響を受けてきたまるみつにも活気が戻ってきているという。行商はこの日でしめくくりだという。古沢さんは日頃お年寄りの暮らしを支えているが、この日はお客の優しい言葉に元気をもらったという。翌日を迎え一年の営業が終了した。2023年には、木村さんのもとに年賀状が届いたがこの日も一人で暮らしていた。しかし娘からの電話があると今度は息子が帰省しにくることがわかり、慌てて準備を進めていた。

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まるみつ食品西川町(山形)

西川町が本格的な雪のシーズンを迎え、雪の量は少なめだったが日々の暮らしへの負担は大きくなるという。古沢さんにはずっと気になっていたお客がいた。転んで怪我をしてから姿を見せていなかった女性が久しぶりにやってきた。厳しい冬こそ古沢さんが頼りだという。夜から強い雪が降り続く早朝6時に。除雪機で雪と格闘する木村さんの姿が。体力的にも厳しいこの地での暮らしだがここを離れるつもりはないという。西川町は戦後点在する鉱山を生かし栄えた。1954年には1万6000人が暮らしていたが全ての鉱山が閉山した76年には、1万人を割り込んだ。その後に企業の誘致なども行ったがうまく行かず人口減少は加速。2023年に4733人とピーク時の3分の1にまで減少している。総合政策審議会が2030年までの町の運営方針を示す第7次総合計画案を提出。その基本構想では地方創生からみた地域が再び活気づくことが困難とされる人口を割り込む懸念も示された。2014年には地方創生を掲げていた。

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まるみつ食品西川町役場西川町(山形)

2014年に少子高齢化、人口減少、東京一極集中の改善を目指し国が掲げた地方創生では地方への人口移動や地域産業の競争力強化や結婚や出産、子育ての支援などの政策を推し進めまもなく10年。日本の人口は2008年をピークに減少の一途を辿っている。国は人口増加が厳しくなる中で、2020年から地方創生第二期として新たな方向に舵を切った。国のふるさと作りで座長をつとめた明治大学の小田切徳美さんは第一期を検証した結果、新たなキーワードが生まれたという。人口ではなく人材を議論すべきとし、地方にすまなくても現実的な地方と関わりを持ち始めてている関係人口はそうして特定地域に継続して関わる人のことをさす。そこにこそ今後の地方創生の鍵があるという。西川町では、2022年に地域の活性化に取り組む東京の会社と協定を結び地域起こし協力隊を半年で11人に増員した。期待されているのは町民と関係人口をつなぐ役割。冬には大学生などを協力隊インターンとして呼び込み、除雪を通し地域のお年寄りとの交流を行った。関係人口の発掘へ力を入れる西川町。その理想の取り組みは北海道の中央部に位置する北海道東川町で自然豊かな風景は、西川町と似ているが移住者の増加で人口も増え続けている。東川町では1955年をピークに人口減少が続き、94年には7000人を割り込んでいたがその後は増加。2022年には、8600人を越えた。その1つの要因が1994年に゙開催した町のイベント。全国の高校の写真部が町に数日間滞在し風景や町民を撮影して腕前を競う写真甲子園が行われた。町民皆で応援し、全国の高校の写真部がまちに滞在した。東川町に職員として働く吉里さんは大阪府出身で写真甲子園に出場し東川町が好きに。大学時代はボランティアでイベントに関わり毎年東川町に来ていた。大学卒業後には居住を決め、関係人口から一歩足を踏み出し町民になった。東川町は町民の半数が移住者だという。

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写真甲子園安倍晋三東川町文化ギャラリー東川町(北海道)西川町(山形)

東川町でも今後は人口減の懸念があるという松岡市郎前町長。しかし活性化は可能だという。吉里さんが訪れたのは大学時代から交流のある森田さん夫婦。今も家族のような関係が続いている。夫婦は町とと家系人口の架け橋になっているという。一方で西川町の第7次総合計画案には目指す将来像として、できるだけはやく町内外の人に共感を持ってもらえる町になることが示された。また15歳から64歳の生産年齢人口の数を今の人口推計よりも1885人と明記した。その一部は関係人口からの居住も期待される。この日に西川町の公民館で開催されたのはお年寄りを対象にしたスマートフォンの使い方を教えるスマホ教え愛講座が開催した。地域起こし協力隊が企画した。深野さんは協力隊で西川町にやってきたという。こうして出会った若者とお年寄りが交流し関係を築く。

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東川町(北海道)海味第三町内会館西川町(山形)

古沢さんは生まれ育った町内の実家にいた。その家は6年前から空き家になっていたが母が亡くなったこともあり譲渡することに。今後は地域起こし協力隊の活動拠点に利用されることに決まっている。生まれ育った家を守りたい気持ちもあったが、町の未来につなげることを決めたという。

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西川町(山形)

古沢さんは実家を売ることにしたという。町と協定と結ぶ地域の活性化に取り組む会社へと受け渡した。お年寄りの暮らしをしる古沢さんは町が進めている取り組みへの心配や、思いを伝えた。この春には西川町には地域の活性化を進めるための繋ぐ課が新設された。町民同士と関係人口の橋渡しが大きな役割。協力隊のインターンに参加していた深野さんも職員として働いていた。移住は考えていないがすごく好きな場所になったという。小田切徳美さんはこうして成功し成果が出た地域がノウハウをいかにその他の地域に提供するかが課題だと答えた。この日木村さんは畑を耕していた。2030年の西川町の高齢化率は49%に。一人暮らしのお年寄りも増えるとみられている。

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西川町(山形)

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