- 出演者
- 宮根誠司 藤本万梨乃 石戸諭 山崎怜奈
1位は「諦めない」高市首相“エピソードゼロ”。圧倒的支持率75.2%、支持しないは19.6%。日中関係は「存立危機事態」発言で関係悪化。維新の存在感、連立合意条件の議員定数削減「副首都構想」法制化など。
きのう宮城県大和町の山林でクマに襲われ亡くなったとみられる男性が発見された。未だ各地で目撃されるクマ。緊迫する住民の生活を追った。イノシシ用のわなにかかっていたのは体長約1.3mのメスのクマ。そのすぐ近くで男性が死亡しているのが見つかった。警察はクマに襲われたとみて調べている。一方、秋田県でも住民たちはクマに怯える生活を送っていた。国道を中心とした住宅密集地では、住宅の眼の前に1週間連続でクマが出没しているという。
カメラが捉えたのは秋田県八郎潟町の住宅の前を悠々と歩くクマ。近くの三種町でも、クマへの警戒を呼びかける緊急アナウンスが流れていた。今月10日水曜から7日連続で住宅の庭先にクマが現れているという。今月16日を最後に姿を見せなくなったというが、町のいたる所にはクマ警戒を促す張り紙があった。そんな中、新たに見つかったのが新しいクマの足跡。大きさは約10cmで子グマのよう。足跡は最後にクマが目撃された場所から約6km離れた畑だが、近くには住宅も点在している。現場近くのクリの木には、クマ棚と呼ばれるエサを食べた痕跡も見つかった。クマは今もどこかに潜んでいるのか。Mr.サンデーはクマの居場所を探るため、空から林を捜索。クマが7日連続で出没した現場は、線路を挟み東西に広がる林。暗くなり、温度を感知できる赤外線カメラで捜索すると、よく見ると林の中で鳥に近づく熱源を発見。岩手大学の山内貴義准教授は「確かにクマっぽいですね。動き方はクマだなと」と話す。クマはまだ町にいる可能性がある。
冬眠しないクマが増えていると言われている中で、駆除だけではどうしようもない。根本的な対策が必要。石戸諭さんは「駆除を効率的にできるようなやり方はやっぱり重要だと思う。これまでの常識が通用しない事態になってきているということだから、災害に近いもの。クマによる災害だから災害対策を考えるのだったら、駆除の効率化を考えていかないといけないのでは」などとコメント。
東京・赤坂の個室サウナ店で15日に火事が発生し、夫婦2人が死亡した事故。Mr.サンデーはサウナの修理に入った業者を直撃取材した。サウナストーンに何らかの理由でタオルが触れたことが火事の原因とみられている。部屋のドアノブが外れ夫婦は出られない状態になっていた。2人の手には皮下出血があり、ドアのガラスを割ろうとしていた可能性があるという。さらに通風口からも助けを求めた可能性があり、一部が壊れていたこともわかっている。ガラスを扱う業者によると、高温になるサウナ室で通常ドアに使われるガラスは、厚さ5~10mmが一般的だという。手で叩き割るのは不可能に近い。サウナのドアに使われるガラスはどれほど割れにくいのか。まずは金属製のしゃくしてたたいてみたが、傷すら付かない。金属製のおけや木製のすのこでも全く歯が立たない。最後はサウナストーンをタオルにくるんでぶつけると、この衝撃でも割れない。狭い個室サウナ内を想定し、1.5mほどの距離から繰り返し投げつけるが、ひびすら入らなかったが、7回目でようやく割れた。業者によると割れた要因は、たまたま鋭利な部分が当たって砕けて割れたという。高温の密室で強靭なガラスを割ろうとしていたとみられる夫婦。詳しい死因は明らかになっていないが、約100℃のサウナ室に居続けた場合、体にはどんな影響が出るのか。話を聞いたのは今年3月、今回の事故現場とは別の個室サウナ店で閉じ込めに遭った女性。ドアは押し戸だったが、ういたすのこが引っかかり、中から開かなくなってしまったという。危険に気付いた時にはすでに10分が経過、頭がもうろうとする中、恐怖でパニックになった。熱さだけでなく乾燥にも苦しめられ、息苦しさに襲われたという。そんな中、サウナストーンでドアのガラスを割ろうと力を振り絞った女性。約5分間、一点をねらい続けることでガラスが割れ、九死に一生を得た。全身のやけどや熱中症で救急搬送されたという。鹿児島大学・宮田昌明教授が指摘したのは、熱中症を含む高体温症の恐ろしさ。3月に閉じ込められた女性は今もPTSDの症状が出てしまって、圧迫感のあるような空間にいられなくなってしまったりしたという。今回、夫婦の事故を知り、自分との共通点に心を痛めたという。夫婦が亡くなった個室サウナも非常ボタンが作動しなかった。今回の事故で問われているのは、店側の安全対策。木製のドアノブは内側も外側も外れ、開けられなくなっていた。
これまで数多くの温浴施設のサウナを設計してきた1級建築士の今井健太郎氏はドアハンドルがついていた。基本的には弊社では使用しない。見たことがないタイプだなと。閉鎖的にロック状態になると当然、安全上問題があるので、そうならないために単純に押すだけで開く機構のものを採用していると述べる。ほとんどのサウナで採用されているのが押し引きだけで開くドア。なぜドアノブが使われたのか?今井氏によると、既製品に木製の板をつけるなどサウナ仕様にアレンジするのが一般的。事故が起きた店の関係者は押して開くタイプだったが木製のドアノブを注文したらしい、なぜ変更したかはわからない。普通の木材だった。使い続けたら劣化しやすいと思うと述べる。事故が起きたサウナ店に修理に入ったことがある業者は、ドアノブがよく不具合になると言っていた。でも木製のドアノブは常に高温になっているのでそもそも壊れやすいのでは?とは思っていたと述べた。修理業者によると、サウナ店では清潔さやデザイン性に配慮が行き届いていたが、施設の造りには違和感があったという。修理に入った業者はここは設計した人が素人というか、あまりサウナを手がけたことのない人が設計したのかなって思ったと述べる。Mr.サンデーはドアノブにしたわけをサウナ店の運営会社に問い合わせたが期日までに返答はもらえなかった。警視庁は業務上過失致死の疑いも視野に捜査中。
サウナの安全基準、素人が作ったサウナとかはわからない。ボタンの設置は義務ではない。建築の基準も明示されていない、そういうルールで事業者に委ねずに第三者にチェックを入れるとかしないと防げないのでは。安全策に配慮していくのは当然のこと。サウナにも基本設計があるということがわかった。安全を第一にしていかないといけないなどと話した。
恩師が亡くなって半年余り。松井秀喜さんは本当の実感というのはまだない。まだ信じられない、いるんじゃないかなってと述べた。長嶋茂雄は戦後の日本を照らし続けた男。国民はその華麗なスローイングに酔いしれ、空振りするだけでときめいた。天覧試合での活躍は言うまでもない。その功績は記録だけでなく記憶に深く刻まれた。監督となり巨人の4番を託したのが松井秀喜。松井さんは休みの日も昼ぐらいまでは絶対、予定は入れられないと述べる。メークドラマ、最大11.5ゲーム差からの逆転優勝。
長嶋氏が野球人生の集大成と位置づけたのがオリンピック。長嶋氏はかつてない興奮とまた使命の重さを痛切に感じていると述べる。当時、代表メンバーだった和田毅氏は、ユニホームを着られると目つきが一気に変わる。戦う目つき、眼光が鋭くなる。緊張感が高まっていて、酸素マスクを吸って(グラウンドに)行かれていた先輩が結構いたと述べる。緊迫感のなか悲劇は起きる。当時ヘッドコーチだった中畑清氏を目の当たりにしていた。中畑氏はふ~って息を吐きながら、「これがプレッシャーなんだな」って言った。あの長嶋さんがと述べる。長嶋氏は後遺症で利き腕の力を失った指揮官は力を振り絞って「3」の文字を記し、選手たちを鼓舞し続けた。和田氏は長嶋さんのパワーっていうかそこに(力が)あるっていう気持ちで自分はいたので、一緒に戦っているという間隔だったと述べる。17年後の東京五輪で長嶋氏自身も再びこの国を前へと走らせる。聖火リレーについて、松井氏は最初聞いていたのは監督は歩かないって聞いていた。車椅子のつもりで日本に行った。やっぱり長嶋茂雄として歩かなくちゃいけないというね、その気合は感じた。最後、火をつける時、監督の目がニコッて笑った。その瞬間よかったなと思ったと述べる。ファンのため、国民のため、颯爽と時代を駆け抜けた男は今も照らし続けている。
“最強”という虚飾を背負い、戦い続けた男がいた。
壇上に上がったたけで、湧き上がるUSAコール。ハルク・ホーガン氏は私のヒーローである次期アメリカ大統領が銃撃されて、殺害されそうになった時、我慢の限界だったと述べる。プロレスラーのハルク・ホーガンはまさに強いアメリカを体現してきた71年の人生だった。身長は201cm、80年代、日本のマットで大暴れしていた。ある人物との出会いが揺るぎないもに変えていく。柴田惣一氏は猪木さんと組むことによってどんどんいろいろ学習して、今日の試合どうだった?と意見を聞いて回っていた。ホーガンの日常生活でもこういう感じと述べる。代名詞は「イチバーン」。藤波辰爾氏は猪木さんのダァーッに匹敵する、あれを彼が身につけたのかもしれない。ホーガン流の猪木ズム。日本的と述べた。ホーガンが信じがたい事件を起こしてしまう。必殺技、アックスボンバーで師匠である猪木を舌出し失神KOさせてしまう。斎藤文彦氏はその日から日本でもハルク・ホーガンはスーパースターの座を手に入れたということ。それから半年後、アメリカに帰って、それからアメリカにおけるホーガン神話、伝説がスタートしていくと述べる。
なかでも伝説となったのが、身長223cm、体重236kgの大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントを投げ出したボディースラム。斎藤文彦氏は24/7、24時間、週7日、ホーガンであり続ける。24時間ヒーローとして生活するというと述べた。柴田惣一氏は血圧測るとき、ホーガンがはぁって顔をした。ホーガンも疲れているんだなと目の前にした。僕らと同じ人間なんだとそういう瞬間を見た気がすると述べた。死の直前、アメリカの自宅に招いた唯一の日本人がいる。佐藤義一氏は着信が戻ってきて、佐藤いつ来るんだ?って言われて、声が違うと述べた。当時、中学生だった佐藤、ホテルで出待ちしていたファンの一人だったが何故か気に入られ、40年以上親交を深めたという。ホーガン氏は歓声と孤独の真ん中で強さを演じてきた男の矜持だった。
茶道裏千家・15代家元の千玄室さん。享年102。国連本部でお茶をたてたこともあるれば、旧ソ連の大統領やエリザベス女王にも茶の湯を伝え、空飛ぶ家元と呼ばれた。大阪・関西万博で記録映像が公開されたのは今年のこと。そのプロジェクトを指揮したのがメディアアーティストの落合陽一氏。落合氏は戦争のあと、日本からどういう平和的なメッセージを出していくのかっていうところにはすごく影響を与えた人だと思うと述べる。千氏は本当は1945年5月21日に出撃して、今はどこか沖縄の周辺に沈んでいるはずと述べる。1945年、学徒出陣で海軍のパイロットになった千は特攻隊に任命される。死に向けた訓練のなか、茶道具を持っていた千は、ある時戦友に「お茶にしてくれや」と。ようかんを切って、みんな車座になってね。私が茶を点てる。うまいなぁってねと述べる。穏やかな茶会と戦争の狂気が入り混じるなかで聞いた戦友の一言を何十年も抱えてきたという。千氏はみんな出ていきました。みんな帰ってきませんでした。俺、生きて帰ったらお前んとこの茶室で茶飲ましてくれよ。それが私の耳底に残ったまま70年たった。全く無惨なことですと述べる。次は自分と覚悟したが、出撃命令が出る前に終戦を迎える。茶道研究家の筒井紘一氏は、お茶を一碗でも多くの方々に飲んでいただいて心ひとつになってほしいなぁというのが、生涯の本当の思いだったと述べる。千氏は70か国以上を訪問。千の一盌はどんな一座も和ませ心からの一期一会を紡いでいく。2015年平和祈念献茶式、戦友たちが飛び立った地で献茶式を行う。千氏は私が死ぬまでは私の戦争は終わりません。私の心を後世に伝えていきたいと述べる。
千が口にしたのはあの日飛び立った戦友・森丘哲四郎の名だった。戦後80年、終戦の日を前にして静かにその生涯を終えた。
千玄室氏について、昭和100年、戦後80年という節目の年でもあった。日本における平和って何だろうってずっと考えている。戦争しないという意味では日本は今のところ戦後80年たって戦争に巻き込まれたことはない。だけど世界中にはいろんな戦争の国がある。茶室の前では分け隔てない、どの人でも振る舞うというのは一貫している。ある意味では彼が語り継いできたこと、やってきた活動そのものが日本の平和主義を体現したとみえる。戦争とは全く無残なことであるという言葉は後世に語り継ぐ意味はある。長嶋茂雄氏について、日本は野球が好き。この礎は全部長嶋さん。ハルク・ホーガン氏について、この時間じゃ語り尽くせないなどと話した。
全国の天気予報を伝えた。
来年の主なニュース予定について、スポーツの大イベント尽くし。2月にミラノ・コルティナ五輪開幕。3月にWBC開幕。6月にFIFAワールドカップ開幕。
「ワンピース」の番組宣伝。
「ホンネ喫茶 永田町」の番組宣伝。「政治家ってすぐ嘘つくじゃないですか?だから野党がだらしないって言われる」を伝える。
「終幕のロンド -もう二度と、会えないあなたに-」の番組宣伝。
