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月に一度会って麻雀する間柄という橋本龍太郎元総理の妻・久美子夫人、羽田孜元総理の妻・綏子夫人ら4人。この日は去年の衆院選公示1週間前。今回、そんな「総理の妻」らにインタビュー。
オープニング映像。
総理官邸そばの公邸。総理とその家族たちが日常生活を送っている。参院選10日前、現在ここに住む石破総理の妻・佳子夫人を取材。夫は自民党総裁選に4度敗北。5度目の挑戦となった去年を最後の挑戦を位置づけていたという。2人の出会いは大学時代。夫からの一目惚れによるもので、夫人からの第一印象は「個性的な人」。結婚を機に夫の選挙区である鳥取に移住。
橋本龍太郎元内閣総理大臣の妻・久美子夫人にインタビュー。夫が政権を担ったのは、今に続く失われた30年の入口に当たる時期。通商産業大臣時代には日米貿易摩擦の直接交渉を担当。交渉相手のカンター通商代表とは親としての悩みを話し合えるほどの間柄に。その後譲歩を引き出し、交渉を妥結させた。久美子さんは現在、都内のマンションで1人ぐらし。結婚したのは24歳のとき。仲人は当時の佐藤栄作総理。家同士の縁談による結婚で、当初は「自己顕示欲が強い」と感じたという。
総理と家族が暮らす総理大臣公邸にて、岸田前総理の妻・裕子夫人にインタビュー。総理就任前は地元・広島で活動。自らもSNSに積極的に登場し、家庭での素顔を紹介するなど総理を目指す夫を後押ししてきた。総理の妻としては「ファーストレディー外交」に尽力。アメリカではファーストレディーの活動を支える予算や法律が整備されているが、日本では私人扱い。役割も明記されていない。取材した日は退任3日前。今の思いについて「特別な3年間」「公邸を出ていく寂しさはある」など話した。
橋本龍太郎元総理の妻・久美子さん。今も印象に残っているのは、かつて夫と出席した夕食会の会場。97年のデンバーサミット。東西冷戦終結後初めてロシアが本格的に参加したサミットで、日露間でも北方領土返還の機運が高まっていた。久美子さんによると、当時夫は神経をすり減らしていたという。久美子さんもナイナ夫人と独自に交流。翌年、参院選での惨敗を受け総理辞任。総裁選でも敗れ、失意のうちに政界引退。その後1年足らずで亡くなった。
歴代最長の政権を担った安倍晋三元総理の妻・昭恵夫人にインタビュー。夫の総理退任後初のテレビ単独インタビュー。銃撃された際に握っていたマイクは今も保管している。石破総理に先んじて行った米トランプ大統領との面会でも夫のことが話題に。夫の在任中、昭恵夫人もメディアに積極的に登場。当時、自分が社会からどう見られているかに不安を感じていたという。「総理の足を引っ張ってはいけない」という思いから。第1次政権で夫は1年足らずで退任。この頃、昭恵夫人は精神を病んでいたという。
羽田孜元総理の妻・綏子夫人にインタビュー。相次ぐ政治とカネの問題で自民党への信頼が揺らぐ中、羽田孜は自民党を離れ新党を立ち上げた。政治改革により政権交代可能な二大政党制を目指し、94年には細川のあとをつぎ総理就任。そのあと、社会党の離脱により政権運営に行き詰まり、在任期間は64日間。夫人は「政権が長かったら世の中が変わっていた」と振り返る。
自民党への失望が広まっていた09年、自民党から民主党へ政権交代。当時の鳩山由紀夫政権の支持率は72%。その妻・幸夫人は元宝塚歌劇団。舞台やテレビで活躍したのち、当時学者を目指していた夫と米国で出会い結婚。夫の祖父は自民党を結党した鳩山一郎元総理。夫人は選挙区の北海道に通うなどして夫を支えた。政権は8ヶ月あまりで退陣。退任後は政界引退。夫人は当時を「主人は『悔しい』とは言わないが 悔しい思いをしているだろうなと思うと切ない」と振り返る。
橋本龍太郎元総理の妻・久美子夫人。日本介助犬協会の会長を務めていたが、安倍昭恵さんに交代。2人は同じ学校を卒業するなど親交があった。この日、息子・橋本岳の応援のため岡山へ。結果、息子は大敗。敗因を聞かれると、「全てでしょ」と話した。夫の19回目の命日、墓前で「家族みんなを守ってください」「私もいずれおそばに参ります」など話した。
エンディング映像。
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