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オープニング映像。
赤崎勇さんはノーベル物理学賞を受賞した。20世紀中に実現するのは無理と言われていた青色LEDの発光ダイオードの開発に成功した。鹿児島県出身の赤崎さんは昭和4年に仏具店を営む父のもとに次男として生まれた。少年時代に夢中になったのは石。様々な鉱石の標本を父にもらったのがきっかけ。この時の体験が後に結晶の研究に打ち込む原点に。昭和19年は太平洋戦争の戦況が悪化。中学生だった赤崎さんは軍事工場などに駆り出されるようになった。昭和20年の6月17日に、生涯忘れられない光景に鹿児島大空襲を経験。赤崎さんの住む近くに何発も焼夷弾が落ちてきた。一夜が開けるとふるさとは一面の焼け野原になり、赤崎さんの家も消滅したが家族は全員無事だった。その後疎開先で終戦を迎えた。昭和27年には、京都大学理学部を卒業した後に真空管などを製造するメーカーに入社し、その後名古屋大学にうつりトランジスタの材料となるゲルマニウムの結晶作りに取り組んだ。昭和39年には大手電機メーカーの研究所の室長に就任。ここでLEDの研究を本格的に始めた。こだわったのは終戦直後にか細いランプの灯で生活した事があったため。まだ実用化されていなかった青色LEDの開発に乗り出す。
電気を通すと青く光る窒化ガリウムの結晶を使ってLEDが作れないかと考えたが世界中の研究者が挑戦し断念したものだった。昭和56年には青色LED研究に専念するために名古屋大学へ。LEDを作るには、窒化ガリウムのきれいな結晶を作る必要がある。しかし実験は難航。50歳を過ぎても成果を出すことができなかった。大学院生として共に研究していた天野さんは何度失敗しても諦めない赤崎さんの姿に心を動かされたという。転機は突然訪れ、普段は炉の温度を1000度以上に保っていたがこの日は不具合で温度があがらず。その状態で実験を進めると結晶が成長していった。この素材を元に試行錯誤を重ねること4年で青色LEDを作り上げた。青色LEDが実現したことで赤や緑と光の三原色が揃い、全ての色を表現できるようになった。LEDは今では照明や携帯電話など様々な分野で広く普及している。開発に貢献した赤崎さんは、平成26年に天野浩さん、中村修二さんと共にノーベル物理学賞を受賞した。名城大学に移動し研究に没頭。92年の生涯だった。
エンディング映像。