ブラッド・ブラウンさん(14)は侵攻直後祖父母とともに伯母が暮らす埼玉県に避難してきた。この2年、両親の残るウクライナ東部に戻ることを待ち望んできた。その日にそなえウクライナの学校の授業にオンラインで出続けてきた。時差の関係で授業は夕方から。日本の学校には通えていない。オンライン中心の生活でブラッドさんが楽しみにしているのが週2回参加している卓球教室。平日の午前のため同世代の参加者はいないが、大切な交流の時間だ。この日も授業のためパソコンに向かうが空襲警報が出て授業が中止に。故郷では依然厳しい戦況が続き、帰国の見通しは立っていない。長期の避難も覚悟するなか祖父母とブラッドさんは日本の学校への入学を考え始めている。ウクライナと日本の学校を両立できないかと市役所に相談に訪れた。将来が見えないなかでもいまできる新たな一歩を踏み出したいと考えている。ブラッドさんは「できるだけ多くのことを学びたいが全部はコントロールできない。戦争の終わり方で将来が変わる。どうなるか予想できない状態。」と話す。ブラッドさんの父親はロシア軍の攻撃を受けた電波設備などをなおす業務にあたっていて、母親もそれを支えたいと現地に残っているという。現地は通信の状態が悪化していて、両親と連絡が取りづらくなることがあるが、ブラッドさんは日本の学校で友だちを作るという新たな目標に向けて日本語の勉強にも力を入れたいと話していた。