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「米国立公文書館」 のテレビ露出情報

戦後80年プロジェクト つなぐ、つながるを放送、今夜は、終戦から僅か1年後に行われた花火大会の秘話をひもといていく。村瀬煙火は79年前、ある特別な花火大会に参加、それは戦後全国で初めて行われた花火大会だった。長い戦争が終わり、戦後初となる花火大会は終戦から1年後の1946年8月10日、長良川で行われた。10万人以上の観衆が集まった。現正寺住職・高木慈興さんは当時16歳で友人らと花火を見ていた。戦時中は花火などもってのほか、火薬の使用も制限されていた。花火大会が消えるとともに、人々の生活は戦争に翻弄されていた。召集令状で一家の大黒柱が出征し家族3人だけが残された。1945年7月9日深夜に岐阜空襲で900人が死亡、親戚も11人亡くなった。現正寺住職・高木慈興さんは、別の防空壕に避難していた親戚11人を亡くした。1ヵ月後に終戦したが出征した父親は戻ってこなかった。復讐心を抱えた高木さんを尻目に花火大会のテーマは「復興・岐阜」が決まった。高木さんは割り切れない思いを抱えていたのは自分だけじゃなかったのではないかと話す。打ち上がる花火の音が焼夷弾に似ていて空襲を思い出したというが夜空を見つめ続けると美しい花火に「こんな素晴らしいものがあるのかと。同列にはならん 戦争とは。あんなもんと一緒にしてもらうと困る」と話した。高木さんはそれから長良川の花火大会を見続け復讐の気持ちは薄れていったということ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月16日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルANN NEWS
今年は戦後80年。太平洋戦争の激戦地となった硫黄島で戦没者追悼式が行われ、遺族は「事実を風化させない」と訴えた。1945年の太平洋戦争末期小笠原諸島の硫黄島では米軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、旧日本兵らおよそ2万1900人が命を落とした。今日の追悼式では、日本側の守備隊を指揮した栗林忠道中将の孫が遺族を代表して追悼の言葉を述べた。

2024年12月12日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
きのうノルウェー・オスロで行われた日本被団協へのノーベル平和賞授賞式、式典にはブラジルに住む被爆者も出席した。これに先立ちブラジル・サンパウロではコンサートが開かれた。「イパネマの娘」などを書いた詩人ヴィニシウス・デ・モラエスは第二次世界大戦中から外交官として勤務するなか広島への原爆投下を知り衝撃を受けた。自らの作品の中で大切なものを「バラ」と表現することが[…続きを読む]

2024年12月9日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zero(特集)
日本時間の昨日ハワイで行われた真珠湾攻撃の追悼式典。旧日本軍が83年前に行った攻撃は3年9か月に及ぶ太平洋戦争の発端となった。その日本軍の出撃の地は北方領土の択捉島。今もロシアによる不法占拠が続いている場所。向田典子さんはかつて北海道の北東部にある択捉島に住んでいた。択捉島のヒトカップ湾に軍艦およそ30隻が集結。数日後には一斉に出撃した。向かった先は米国ハワ[…続きを読む]

2024年12月6日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ(時をかけるテレビ)
2006年放送の「NHKスペシャル 硫黄島玉砕戦 ~生還者61年目の証言~」が流れた。第二次世界大戦の激戦区だった硫黄島玉砕戦の記録はアメリカ国立公文書館に記録がある。そこには3月に玉砕したはずの日本軍が5月になっても生きており、週に100人単位で戦死していたという記録がある。硫黄島玉砕戦を生き残った生還者は戦後に多くは語ろうとしなかった。元下士官の金井啓さ[…続きを読む]

2024年10月7日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメントキティちゃんと王さまの約束 鉛筆1本から描く平和
1945年7月6日、山梨県内は焼夷弾の空襲を受け市街地の7割以上が焼失した。いちご新聞8月号の執筆に合わせ、辻さんは実家のあった甲府市を訪れた。料亭「三省楼」の跡取りとして生まれた辻さんは早くに母親を亡くし、父と弟妹の4人家族で少年時代を過ごした。空襲当時、辻さんは18歳で大学から帰省していたときにサイレンが響いた。辻さんは戦争当時大人たちに戦争はしょうがな[…続きを読む]

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