第二次世界大戦中、ユダヤ人約600万人を含む多くの人々を迫害・虐殺したナチス・ドイツ。一方で理想的なドイツ人を数多く育てる計画が進められていたことはあまり知られていない。ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーはナチス・ドイツを率いて、世界中を第二次世界大戦の戦火に巻き込んだ。組織的な大量虐殺“ホロコースト”を進めるため、多くのユダヤ人を強制収容所に移送した。ヒトラーは、ユダヤ人を“劣等人種”とみなし、ガス室などで600万人以上を殺害。さらに、数百万人の少数民族や障害者、同性愛者などを殺害した。ホロコーストと並行してナチスが推し進めていた人種政策「レーベンスボルン=生命の泉」計画により、人生を翻弄された女性カーリ・ロースヴァルさんを取材。ナチスは金髪、青い目、高身長の「アーリア人」を増やすことを目的として、ドイツ兵と理想的なをもつ外見をもつ女性の間に子どもを産ませ、施設で管理していた。中にはレイプされた女性もいたという。ナチス占領下のノルウェーでドイツ兵との間にカーリーさんを出産した母は過去を封印していたという。カーリさんは、戦後スウェーデンの孤児院に送られ、農場を営む夫婦に引き取られた。出生の秘密を知らずに育ったという。カーリさんは21歳のときに、生みの母の存在を知り訪ねた。母は父のことについて「彼はいい人ではなかった」と話したという。その後、カーリさんは生命の泉計画を知って64歳で父親がドイツ兵と判明した。ドイツ兵の子どもを産んだ女性たちは長く偏見と差別にさらされ、多くの人が自らの体験に口を閉ざしてきた。戦後、生命の泉の子どもたちは、「ヒトラーの子ども」、「ナチスの子ども」などと呼ばれ、迫害された。精神的な苦痛から薬物に溺れたり、自殺したりした人も数多くいるという。今年1月27日、アウシュビッツ解放80年追悼式典に出席したマイケル・ボーンスタインさんは、ドイツ占領下のポーランドで生まれ、4歳でアウシュビッツに送られた。1945年、ソビエト連邦軍によって解放された収容所の映像にマイケルさんの姿が残っていた。生き残った子どもはわずか約700人。マイケルさんは初めて孫を連れてアウシュビッツを訪問した。孫たちに収容者に刻まれた番号を見せた。アウシュビッツの記憶を忘れないために、あえて番号を消さなかったという。マイケルさんは、真実を伝えるため立ち上がった。ポーランド出身のユダヤ人、シルビア・スモーラーさんは7歳の時に日本通過ビザで、ナチスの迫害を逃れアメリカに亡命した。リトアニア領事代理(当時)の杉原千畝が発給した“命のビザ”は、ホロコーストから多くのユダヤ人を救った。今、トランプ政権の差別的な政策に心を痛めているという。