今年で戦後80年。宮下喜美代さんは戦死して生涯一度も会えなかった父親からの葉書を大事にしてきた。喜美代さんは父が戦地へ赴いてから生まれ、葉書の文字だけが父の思いを知る手がかりだった。謎なのは父親の最期。戦死したのはペリリュー島と聞かされていたが、差し出し場所はすべて満州。いつ、なぜ父が南方へ向かったのか分からないままだった。喜美代さんは専門家の大塚雅之さんを頼った。葉書を解読すると、所属部隊が改編され、満州からペリリュー島へ向かったことが分かった。残された陸軍の資料には父親の名前が記録されていた。喜美代さんは80年の時を経て、父親の思いと存在を感じることができた。