51年前に一家5人で山を降り、田んぼを宅地造成した住宅地に家を購入した村上家。麓に移住後も山の上の土地は手放さずに管理を続け、文子さんは今も毎日畑仕事に通っている。亡夫の美晴さんと夫婦で母屋を約半年で解体したという。母屋跡にはキウイが栽培されていた。お風呂や台所跡が今でも残っていた。当時は湧き水を使って生活していたという。文子さんは隣町出身で実家は農林業で7人兄弟。中学卒業後は山口県で個人医院に勤務。父親が脳卒中になり、実家に帰り介護をしていたところ縁談話があってお見合いをしたという。亡夫の美晴さんの第一印象は気難しい人だったという。人手が必要だったこともあり、田植え前に結婚が決まったという。国道から歩いて嫁入りした。文子さんは19歳で嫁入りした。結婚後はすぎに田植えを手伝いはじめ、 1年経って長女、長男が生まれた。子育ては義母が行い、嫁は働くという時代だったという。亡夫の美晴さんはとにかく真面目で堅物だったという。美晴さんの義父は戦死されていて、祖父母に育てられたのだという。美晴さんは家業を継いだが体が弱わく、文子さんは夫の分も仕事をしたという。田んぼだけでは家計は苦しく、原木椎茸もはじめ、工場勤務もした。
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