ナイジェリアの海上スラムで日本食堂を営む森田隼人さんの日常生活に密着。午後4時、営業を終え舟に乗り込むと海上スラムの中にある学校を訪れた。森田隼人さんは炊き出しのために学校にやって来た。定期的に学校を訪れ無料で料理を振る舞っている。午後6時、炊き出しの料理が完成し全員に配られた。夜8時、学校の2階へ。森田さんはここで寝泊まりしている。マココはアフリカの中でも治安が悪く危険地帯と言われている。ギャングや孤児も多く存在している。その現状を知ってしまったからこそ森田さんは学校での炊き出しを続けている。
この日、マココを視察に外国の人々がやってきた。ナココにはNGOや赤十字社の視察団が現状をみようと時々やって来る。視察団はマココにレストランがると聞きやって来たという。料理の代金には森田さんには支払われず、代わりにスラムの貧しい人々へ寄付してもらっている。森田さんは日本でプロボクサーとしてデビューしたあと、トレーナーとして若手選手の育成をしていた。若手選手はお金がなくて食生活が良くなかった。そこで美味しくて安く食べれる焼肉屋を作ろうと思って料理人になったという。六花界をオープンさせ9年で6店舗まで拡大させた。しかし新型コロナが来た時に命の大切さに気付いた。自分の料理でどうしたら命を救うことができるのかと考えたら、発展途上国のスラムで自分ができることはないか調べた。ナイジェリアに来て海上スラムに出会いレストランを作った。全員料理人にすれば自分でご飯食べれるしお金稼げる。ナイジェリア中にハヤトレストランを広めてもらえると思った。1年半かけマココの人たちに家族として認められ2024年9月に日本食堂をオープンさせた。
この日、マココを視察に外国の人々がやってきた。ナココにはNGOや赤十字社の視察団が現状をみようと時々やって来る。視察団はマココにレストランがると聞きやって来たという。料理の代金には森田さんには支払われず、代わりにスラムの貧しい人々へ寄付してもらっている。森田さんは日本でプロボクサーとしてデビューしたあと、トレーナーとして若手選手の育成をしていた。若手選手はお金がなくて食生活が良くなかった。そこで美味しくて安く食べれる焼肉屋を作ろうと思って料理人になったという。六花界をオープンさせ9年で6店舗まで拡大させた。しかし新型コロナが来た時に命の大切さに気付いた。自分の料理でどうしたら命を救うことができるのかと考えたら、発展途上国のスラムで自分ができることはないか調べた。ナイジェリアに来て海上スラムに出会いレストランを作った。全員料理人にすれば自分でご飯食べれるしお金稼げる。ナイジェリア中にハヤトレストランを広めてもらえると思った。1年半かけマココの人たちに家族として認められ2024年9月に日本食堂をオープンさせた。
住所: 東京都千代田区鍛冶町2-13-24