水戸市にはうなぎ店が密集している。地元の有志が作った水戸うなぎマップによると中心市街地だけで11軒もある。うな丼が生まれた場所とされるのが龍ケ崎市の牛久沼。うな丼を考案したとされるのは水戸藩士大久保今助で、一説によると牛久沼で渡し船を待つ間にうなぎの蒲焼きを注文したがすぐに船出の時間に、今助は丼飯の上に蒲焼きを乗せて船に乗り込み対岸に到着後フタを開けるとご飯にタレが染み渡り蒲焼きはほかほかで美味しいと誕生したという。牛久沼のそばを走る国道6号線には今もうなぎ店が軒を連ねうなぎ街道と呼ばれている。今回特別にうなぎ店で今助が食べた当時のうな丼を再現してもらった。明治時代に書かれた、江戸時代の水戸の人達がどんな暮らしをしていたのか書かれた本にはうなぎにまつわる記述が。うなぎは高価という内容が書かれており、出世したらうなぎを食べられるとうなぎは豊かさの象徴だった。続いて大久保今助の生まれ故郷の常陸太田市にある今助の墓へ。1834年2月、77歳で生涯を終えたとされる大久保今助、うな丼を発明した功績は今でも地元で語り継がれている。
