- 出演者
- 田代杏子 大嶋貴志 大山武人 赤松俊理 小林陽広 大槻隆行 兼清麻美 浅野達朗 坂下恵理 芹澤麻理奈
オープニング映像。
兵庫県の告発文書を巡る情報漏洩を受けて、県議会では斎藤知事の給与を減額する条例の改正案が審議されたが、漏えいに知事の指示があったか明らかになっていないなどとして2回の定例会でいずれも採決が見送られた。定例会で県は複数の会派との調整を踏まえ減額の理由を明記する修正を行い再提出した。
奈良市の春日大社の境内にある野原で鹿の保護活動を行う団体の職員が、ベートーヴェンの曲をホルンで演奏すると音色に誘われて100頭あまりの鹿が次々と駆け寄ってきた。毎年行われる鹿寄せは市内の旅館やホテルで作る組合が宿泊客向けに行っている。
ニセコ町は、冬のスキーシーズンに増加する外国人観光客らを取り込むため高価格帯の観光ホテルなどが建設され、現在その数は300あまりに上る。こうしたなか町は定額制の宿泊税を導入し、宿泊料金に応じて2000円を上限に課税してきたが、これを3%の定率制に変更する方針。
登別市のクマ牧場で恒例のゴンドラ「とば号」の運行が始まった。12本のサケを吊るして冷たい空気にさらし、「サケトバ」に仕上げる。毎年この時期に温泉街と結ぶロープウェイで登別クマ牧場が運航している。1から2週間でできあがり飼育するクマの特別なエサとして誕生日などに振る舞われるとのこと。
信濃国分寺の「蘇民将来符」は六角柱の形をした厄除け・開運のお守りで毎年1月7日と8日に開かれる「八日堂縁日」で授けられる。昨日は境内の建物に蘇民講と呼ばれる地元の人たちが集まって木材を六角形の柱になるように専用の刃物などを使って形を整えた。
三方湖の「たたき網漁」は、江戸時代から続くとされる伝統の漁法で毎年水温が下がって魚の動きが鈍くなるこの時期に始まることから冬の風物詩になっている。地元の鳥浜漁協によると、水温が下がるこの時期に三方湖で育つコイやフナは淡水魚特有の臭みがなく脂がのって甘みも強いのが特徴とのこと。
「光の祭典 in 紀宝」と題した催しは多くの人に紀宝町を訪れて貰おうとふるさと資料館の広場で毎年この時期に開かれる冬の風物詩。約20万個のLED電球が使われたイルミネーションは地元の人達約100人が9日間かけて飾り付けを行い、昨夜からライトアップが始まった。会場では色とりどりの電飾を使った高さ20mのツリーや光のトンネルのほか、サンタクロースや翼などをかたどったイルミネーションが設置され訪れた親子連れが楽しんでいた。イルミネーションは来年1月5日まで午後6時から10時まで行われる。
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- 光の祭典 in 紀宝紀宝町(三重)
岐阜高山で伝統の正月飾り「花もち」の制作を小学生が体験。作った花もちは子どもたちが持ち帰るほか、農家や福祉施設に贈られるという。
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- 花もち高山市立江名子小学校高山市(岐阜)
全国の気象情報を伝えた。
大阪・西成区の下町にあるオーエス劇場は1700円で3時間の舞台をたっぷり鑑賞できる。劇団員にとってもここは特別な場所だという。長年愛されてきたオーエス劇場だが観客数の減少で今存続の危機にある。32年前の映像では連日の大入りだったが娯楽の多様化とコロナ禍を機に足を運ぶ人が減っていった。社長の岸本真藤さんは経営が厳しくなる中でも劇場を守りたい理由があった。夫の岸本正人さんは今年2月に病気で亡くなったが、劇場を父親から受け継ぎ大衆演劇専用に変えた正人さんは入院中、自分が戻るまで何とか頑張ってと話していた。岸本さんに手を差し伸べたのは地域活性化のサークル活動を行う桃山学院大学の学生たち。大衆演劇は平成生まれの若者たちにとって初めての世界だった。学生たちが力を入れた一つがインバウンドの集客で、公演の案内をするため英語版のチラシを作り劇場近くの宿泊施設を訪問している。さらに大衆演劇ファンの裾野を開拓するためショッピングモールでの出前ショーも企画した。若者たちはオーエス劇場と変わりゆく自分達の故郷を重ねていた。桃山学院大学の木田隼翔さんは、お客さんの顔を眺めた時に笑顔を見れたのが一番嬉しかった、劇場は昔から続く誰かの拠り所で守っていかないといけない場所なんだと感じていると話した。
水戸市にはうなぎ店が密集している。地元の有志が作った水戸うなぎマップによると中心市街地だけで11軒もある。うな丼が生まれた場所とされるのが龍ケ崎市の牛久沼。うな丼を考案したとされるのは水戸藩士大久保今助で、一説によると牛久沼で渡し船を待つ間にうなぎの蒲焼きを注文したがすぐに船出の時間に、今助は丼飯の上に蒲焼きを乗せて船に乗り込み対岸に到着後フタを開けるとご飯にタレが染み渡り蒲焼きはほかほかで美味しいと誕生したという。牛久沼のそばを走る国道6号線には今もうなぎ店が軒を連ねうなぎ街道と呼ばれている。今回特別にうなぎ店で今助が食べた当時のうな丼を再現してもらった。明治時代に書かれた、江戸時代の水戸の人達がどんな暮らしをしていたのか書かれた本にはうなぎにまつわる記述が。うなぎは高価という内容が書かれており、出世したらうなぎを食べられるとうなぎは豊かさの象徴だった。続いて大久保今助の生まれ故郷の常陸太田市にある今助の墓へ。1834年2月、77歳で生涯を終えたとされる大久保今助、うな丼を発明した功績は今でも地元で語り継がれている。
午後LIVE ニュースーンの番組宣伝。
