井伊直弼の実弟は延岡藩の藩主を務めていたが、残された記録によると、井伊直弼は桜田門外の変で死なず、生存したという。これは徳川幕府の公式発表。江戸時代、藩主が後継者を決めないまま死去すると、その藩は御家断絶となるのがルール。彦根藩の藩主だった井伊直弼は跡継ぎを決めないまま、桜田門外の変で命を落としてしまい、藩に取り潰しの危機が浮上した。徳川幕府は藩主を殺害され、彦根藩士たちが浪人となってしまえば復讐するのは必至と考え、井伊が形式上、生きている間に後継者を決めさせることにした。結果、井伊の次男が藩主となり、取り潰しを回避した。ただ、藩士たちの怒りは収まらず、一触触発の事態に。14代将軍、徳川家茂が仲裁を図った結果、彦根藩は報復に踏み切ることはなかった。さらに徳川斉昭も病死し、藩士たちの怒りは静まった。