小椋佳デビューの覚えがないため引退した覚えもないと話した。最初にLPが発売された時は銀行マンとしてアメリカに留学中だったため知らなかったと明かした。レコード会社のディレクター・多賀英典との出会いが小椋の人生を変える。小椋の歌を聞き15~16歳の美少年だと思って会いに来たが会った途端に辞めると言われ、歌を聴かせると「君はいらないけどその作品ちょうだい」と言われたという。歌手探しが始まったが中々見つからないままアメリカ留学へ旅立ち、その間に小椋がレコーディングした曲が発売されていたという。銀行員時代に副業が週刊誌沙汰になり、人事部長に歌をやめるよう言われたが小椋は抵抗したという。すると歌作りは認められたが人前に出ることを禁止されたと話した。その後、表舞台とは無縁の生活だったが人気の高まりを受けて銀行側からコンサート開催を打診された。
