- 出演者
- 大泉洋 小椋佳
小椋佳が手掛けた大スターたちの代表曲を紹介。布施明「シクラメンのかほり」、中村雅俊「俺たちの旅」、美空ひばり「愛燦燦」など。
小椋佳は中学2年から書いていた日記の中の自分の言葉を拾い集めてメロディーをのせて口ずさんだことが歌作りの始まりだと明かした。「シクラメンのかほり」はエルヴィス・プレスリー「Mary in the Morning」の文体をモチーフにしたという。「愛燦燦」の誕生のきっかけはアメリカの農家のコマーシャルフィルムを元に作った歌とのこと。
小椋佳が「愛燦燦」を披露した。
- キーワード
- 愛燦燦
NHK ONEの案内。
- キーワード
- NHK ONE
1976年、人生初のコンサートにNHKが独占密着していた。緊張からか歌詞を間違えてしまった小椋。表舞台に立つこと自体、この日が初めてだった。東京大学法学部を卒業後、エリート銀行マンとしての道へ。当時は音楽活動と並行し銀行に勤務していた。勤め先からは顔出しを禁止されており、デビューから5年以上レコードジャケットでも姿を見せなかった。1972年、3rdアルバム「彷徨」の売上が100万枚を突破。謎のシンガーとして注目を集めていく。そして楽曲提供した「シクラメンのかほり」が大ヒット。これをきっかけに顔出しをしない小椋に対し不満の声が上がるようになる。そんな世間の声に応えるため小椋は人生初のコンサート開催を決めた。座席数3300人に対し応募数は11万通とチケットは争奪戦となった。コンサートの模様はテレビでも放送され視聴率30%以上を記録。小椋佳という存在を世に知らしめた伝説の一夜となった。
NHKには音楽シーンへ物申す歯に衣着せぬ小椋節も多く残されている。
2014年、小椋佳は生前葬コンサートを開催。4日間で100曲を披露した。このステージをもってコンサート活動に自らピリオドを打とうとしていた。しかし古希から11年経った今もステージには小椋の姿が。
小椋佳デビューの覚えがないため引退した覚えもないと話した。最初にLPが発売された時は銀行マンとしてアメリカに留学中だったため知らなかったと明かした。レコード会社のディレクター・多賀英典との出会いが小椋の人生を変える。小椋の歌を聞き15~16歳の美少年だと思って会いに来たが会った途端に辞めると言われ、歌を聴かせると「君はいらないけどその作品ちょうだい」と言われたという。歌手探しが始まったが中々見つからないままアメリカ留学へ旅立ち、その間に小椋がレコーディングした曲が発売されていたという。銀行員時代に副業が週刊誌沙汰になり、人事部長に歌をやめるよう言われたが小椋は抵抗したという。すると歌作りは認められたが人前に出ることを禁止されたと話した。その後、表舞台とは無縁の生活だったが人気の高まりを受けて銀行側からコンサート開催を打診された。
小椋佳がこれまで行ったコンサートは2000本以上。そんな小椋がステージに欠かせないアイテムはコーラ。50年前の初のコンサートから小椋のステージドリンクは50年間変わらずコーラとのこと。
小椋佳が「さらば青春」を披露した。
- キーワード
- さらば青春
小椋佳は週2回、フランス語のレッスンを受けている。レッスンでは「ソフィーの世界」のフランス語版を翻訳しているという。先生は哲学を研究する東京大学の大学院生。さらに82歳の探求心はフランス語だけにとどまらずピアノレッスンも受けている。小椋を支えてきたバンドメンバーの加藤武雄さんがピアノの先生。
小椋佳は人間にとって一番贅沢な遊びは学びで、もっとも贅沢な遊び三昧で今暮らしていると話した。また歌うことが自分にとって健康の種になっている、自分が生きてるなって感じがすると話した。
小椋佳が「歓送の歌」を披露した。
- キーワード
- 歓送の歌
NHK ONEの案内。
- キーワード
- NHK ONE
エンディング映像。
The Coversの番組宣伝。
