三十三間堂の最大のピンチは応仁の乱。応仁の乱は約11年に及んだ内乱で京都全域が戦場になり壊滅的な被害を受けた出来事。応仁の乱をくぐり抜けた建物は京都市内に4つしかなく、うち1つが三十三間堂。ただ、応仁の乱以降は国内が戦乱の世に突入したため、それまで三十三間堂を守ってきた人たちがそれどころではなくなってしまった。そんな中、ピンチを救ったのは1002体目の観音様。室町時代に作られたもの。当時はお寺に自由にお参りもできなかったため、この室町仏が出開帳として全国を行脚。参拝に来た人たちからたくさんの寄付を集めたという。