明治時代、函館山には巨大な大砲が設置されていた。日露関係が育まれた函館はロシアの攻撃に備える防衛拠点となった。1894年、日清戦争に勝利した日本は台湾、遼東半島を手に入れるが、ロシアにとって日本の大陸進出は看過できなかった。ドイツ、フランスを誘い、遼東半島を清に返還するよう圧力をかけ、日本は要求を呑んだ。日本政府としては想定内の事態だったが、国民は激高した。河合敦氏は当時の新聞に着目し、ロシアへの復讐を煽る社説を発表していた。各社は「臥薪嘗胆」をこぞって使い、流行語となった。一方、ロシアは日本をそれほど重要視しておらず、日本への干渉も正式な外交ルートを使っていた。