外国人も感銘を受けるという「首都高速道路」。昭和37年に京橋-芝浦間の4.5kmが完成したのが始まりだが、現在は全長330km・1日約100万台が通行する交通の要となっている。箱崎JCTはヤマタノオロチの名で知られ、ベイエリアを臨むレインボーブリッジや東京タワーとともに麻布台ヒルズを眺める景色など様々な絶景でも知られ、2019年には建設技術を学ぶため44カ国から約340人が訪れている。専門家の清水草一氏は首都高は世界初の都市高速道路なのだと紹介している。昭和34年に首都高速道路公団が設立されているが、時を同じくして1964年東京オリンピックの開催が決定されたことで羽田空港から代々木まで選手・関係者など約5万人が移動できる道路が必要となった。日本の一般幹線道路は約20kmしか出せない状況となる中、都市に高速道路作るためには用地買収の必要もあったが、限られた幹線道路などの公用地や川を活用して建設を進め、空中作戦と呼ばれていた。そのために首都高は川の上を通る道路となった。最大の難所となったのは江戸橋ジャンクションで川の上に4層のジャンクションが設置される構想となっているが、柱を多く建てすぎれば川の流れが遮られ氾濫につながる危険性もあった。