松山市には日露戦争時のロシア帝国の捕虜で、現在のロシアとウクライナ出身の兵士が共に眠る墓地がある。ロシアとウクライナの間に平和が訪れることを願いながら墓地を清掃する中学生がいる。勝山中学校の生徒たちは学校近くのロシア兵墓地を毎月1回欠かさず清掃している。日露戦争当時、松山市の捕虜収容所では延べ6000人が暮らした。墓地には帰国が叶わず亡くなった兵士98人が埋葬されている。40年余り前、教頭の呼びかけで清掃活動が始まった。学校には墓地に関する書籍などに加え、これまでの活動の記録が保管されており、この活動は道徳の教科書にも載った。生徒たちの活動に心を動かされた人も。菅田顕さんは8歳のときに松山空襲を経験し、シベリア抑留から戻った叔父の変わり果てた姿が今も忘れられないという。ロシアの印象は大変悪かったというが、中学生の清掃活動を見て感動し墓地を訪れたロシア人とも交流、今は墓地の保存会の会長も務めている。松山市では墓地での慰霊祭などを続けてきたが軍事侵攻を受け今は中止されている。菅田顕さんは、本当にまた来てほしい、交流の場になりたいと語った。