視聴者からの「当時の戦争孤児の状況について詳しく知りたい。そして当時の家庭裁判所の大変さについて知りたい」という質問のお便りを紹介。清水解説委員は「民間の様々な活動が行われたという証言は残っている。戦争孤児が12万人と桁違いに多かった。民間だけでは手が足りなかった。一旦補導委託という形で預かってくれる商店や町工場を探すと、そしてそのまま就職していくという形が取られていた」などコメント。もう一つの質問「法服に夏服などその時によって違いはあったのか」というメッセージが紹介され清永解説委員は「当時違いはなかった。しかしドラマの舞台である家庭裁判所では法服を着ない」などコメント。