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「田中熙巳さん」 のテレビ露出情報

先月行われた日本被団協のノルウェーでのノーベル平和賞授賞式には50年以上にわたって被爆者運動を続けてきた埼玉県に住む1人の被爆者も出席した。被爆したのは1歳のとき。当時の記憶がない被爆者がどのような思いで活動を続けてきたのか、そして授賞式で何を感じたのか取材した。埼玉県行田市に住む濱中紀子、81歳は日本被団協の事務局次長を務め長年、被爆者運動に関わってきた濱中にとってノーベル平和賞の受賞は悲願だった。濱中は、長崎市の自宅で家族とともに被爆。当時1歳7か月のためその記憶はない。家族は皆、無事だったが被爆したときの状況について母親は口を閉ざし、小学生のころ、祖母から初めて話を聞いた。周囲は皆、被爆者で濱中自身は差別された経験もほとんどなかった。就職のために埼玉県に引っ越し22歳のときに結婚。子どもも生まれましたがみずからが被爆者であることを突きつけられた夫の勇からのひと言が今も忘れられずにいる。被爆者への差別や偏見の苦しみを少しでも減らしたいと28歳のときから被爆者運動に参加してきた。ただ、これまで事務作業や署名活動などの裏方に徹し積極的にみずからの被爆体験を語ることはほとんどしてこなかった。ただ被爆者を再び作りたくないという思いは強く持ち続けてきた。授賞式での田中代表委員のスピーチの作成にも日本被団協の役員とともに関わりその思いを込めた。一方、濱中が帰国したその日、施設に入所していた夫の勇が亡くなった。被爆者である自分のことや被団協の活動について勇がどう思っていたのかその本心を聞くことはもうできない。そして今、濱中には心境の変化が生まれている。これからは自身の経験に加えてほかの被爆者の体験もみずから語り継いでいくことにしている。核兵器のない世界の実現のために自分に何ができるのか、被爆80年となることしも濱中は歩み続ける。授賞式後、濱中のもとにはすでに講演の依頼が来ているということだ。被爆者の平均年齢が85歳を超える中、今後、濱中は被爆者たちの被爆体験を紙芝居にして子どもたちに読み聞かせをする活動も行っていきたいとしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月10日放送 4:30 - 4:55 NHK総合
NHK地域局発(オープニング)
ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の田中熙巳代表委員が、「第五福竜丸の乗組員が被爆した事件が契機となって原水爆反対運動が世界に広がった」と語った。第五福竜丸事件の裏側を特集する。

2025年7月27日放送 18:00 - 18:05 NHK総合
ニュース(ニュース)
講演前に記者会見に出席したフリードネス委員長は、被爆80年にあたり核兵器廃絶を再び訴えるべきなどと話した。また同席した日本被団協の田中熙巳代表委員は原爆の非人道性の告発と証言を強くしないといけないなどと話した。その後の講演でフリードネス委員長は若い世代に向け、被爆者の体験を語り継ぐよう呼びかけた。

2025年7月27日放送 17:20 - 17:30 テレビ東京
TXNニュース(ニュース)
被爆80年を迎え、ノーベル研究所が日本被団協などとともに核の脅威を乗り越える道筋などを考える目的でイベントを開催。フリードネス委員長などが講演を行い、核廃絶を訴えた。

2025年3月8日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
核兵器禁止条約の3回目の締約国会議は「核なき世界に向けた取り組みを強化する」という政治宣言を採択して閉幕した。ただ、アメリカのトランプ政権を念頭に、フランスが核抑止力をヨーロッパに広げることを検討する考えを示すなど、核の抑止に頼ろうとする動きも出ている。日本被団協・日本原水爆被害者団体協議会が、ノーベル平和賞を受賞して以降、初めて開かれた核兵器禁止条約の締約[…続きを読む]

2025年3月1日放送 20:54 - 22:04 テレビ朝日
サタデーステーション未来をここからプロジェクトSDGs
長崎原爆資料館(長崎市)で外国人に話しかける長崎西高校2年・小林真夕さん。核兵器禁止条約の締約国会議に出席するため来週ニューヨークへ。世界へ向け核兵器廃絶を訴えるスピーチを行う予定。長崎と広島に原爆が投下されてから80年。その年だけで約21万人の命が奪われたとされ生き残った人たちも心と体に深い傷を負った。当時の爪痕が残る長崎で、小林さんは高校生平和大使として[…続きを読む]

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