1954年、一橋大学の大学生だった慎太郎からの積極的なアプローチで典子さんとの交際を開始。その1年後に結婚。慎太郎は23歳、典子さんは17歳の高校3年生だった。母・典子さんが買い物に連れて行くのは1人だけだった。ただでさえ忙しい中、4兄弟をまとめて連れて行くことはできなかった。典子さんは慎太郎の眠りを妨げないようお昼過ぎまで音を立てない、慎太郎がその日の体調に合わせて朝食を決められるよう毎日ごはん・パン・蕎麦の3種類のメニューを用意するなど慎太郎に尽くしていた。
慎太郎が亡くなって1カ月後、施設に入っていた母・典子さんは食事も喉を通らないほど体調が悪化。良純が母の大好物のプリンを持っていくと美味しそうに食べてくれた。残りのプリンは冷蔵庫へ。これが良純が母を見た最後だった。その翌日の2022年3月8日、典子さんは亡くなった。施設を整理していた時に良純さんが冷蔵庫を見ると、母は残りのプリンを全て食べていたという。
慎太郎が亡くなって1カ月後、施設に入っていた母・典子さんは食事も喉を通らないほど体調が悪化。良純が母の大好物のプリンを持っていくと美味しそうに食べてくれた。残りのプリンは冷蔵庫へ。これが良純が母を見た最後だった。その翌日の2022年3月8日、典子さんは亡くなった。施設を整理していた時に良純さんが冷蔵庫を見ると、母は残りのプリンを全て食べていたという。